酒をのんでゐたときよりも
はるかに痲痺的となつた
いつも頭の芯が熱してゐて
朝の新聞も頭に入らない
何やら政治的花形が
叫んでゐるやうだが
うるさいばかりだ
けさもまた民間飛行機がとんでゆく
あゝ、人生が二重にうるさくなつてきた
物語りは地上だけで
沢山なのに――
さて今日の仕事は
炭をさがしにゆくことか
反省の中で成熟する
吾が友よ
私等若さに就いて反省する日の
なんと暗い沈みがちなことだらう
だがこのことを怖れるにはあたらない
ただ生きるのだ
働くものも、徒食するものも
いまは全く平等な不幸の中にゐるのだから
良心と呼ばれ、正義と呼ばれるものも
いまはただ生きぬくといふことで
証明されるのだから
若い反省の糸は
死へはつながれてゐない
ただ無反省な死のみが
地球の廃滅を早めるだけだ
無反省な死――ヨーロッパの出来事がそれだ、
吾が友よ
毎朝暦をめくり給へ
ときには女の子にも心を動かし
たまには美しい天でも仰ぎ給へ
それからカツレツでも喰へ
すべて若さは反省の中で成熟する
時は若い力によって遮断され
知恵は新しく登場をするだらう
人生の青二才
生き抜くことの難かしさに
なげかはしい心で
思ひわずらふことよさう
私の最愛の友よ
私はそれよりも死を手招くことで
一日を生きのびようと思ふ
そして死が迎へにやつてきたら
お前を招いた覚えがないとうそぶかう
楽しい我々の人生よ
これほどまでに精神を砂利のやうにされて
それでゐて君と僕とが突立つてゐることに
ほんとうの意義のあることを感じ合はう
犢をたらふく喰つた瞬間の勇気をもつて
蕃人のやうに喧嘩を売りにゆかう
我々はまだ人生の青二才だ、
がまんのならない一秒間のために
元気を出せ
世界の力
どこへ行つても
新しいと言はれる人間に逢つてみても
少しも私の眼には新しいとも
ちがつた物体にも見えない
とほりすぎる猫の姿態を
すばやく眼にとめることがあつても
馬鹿ヅラをした人間の顔は
私の頭のどこにも印象されない
おそろしく珍らしいものの
なくなつた地球となつたものだ
道徳も古びて修理がきかず
愛するとはなんぞや――、
それは袂別を怖れることで精一杯だ
真理とは――、
それはおたがひが勝手に
ハンカチをそれにひたせば満足できる
十二色の染壺のやうなものだ、
インキ瓶とはなにか――、
それは硝子の器である、
そして詩とはなにか――、
詩とは鼻の落ちた人間のつくるものなら
呼吸するたびに心がふるへるものだらう
あゝ、馬よりも退屈な小説家
いたづらに鼻を鳴らす詩人、
真理を語り、道徳をとき、
交友を鼠算で殖やしつくる生活よ、
心熱ければアイスクリームをのみ
心ふるへれば外套を着る
一切が便利になつた
平凡を愛する世界の怖ろしい力よ、
乾杯
千里も向ふに汚ない唾をひつかけてやるために
若い妖精の群をつくる必要がある
思ひなやむな
暁の葉がこぼした
いつてきの露を地が吸つた
洗濯シャボンも使はぬのに
自然はいつもあんなにきれいだ
人間は心を洗ふ手はもたないが
心を洗ふ心はおたがひにもつてゐる筈だ
葉がこぼしたものを土が吸つたやうに
君の渡した美しいもので私は顔を洗ひたい
自然の子としての人間の力を祝福して
ある共同的なもののために
けふは乾杯しよう
夜の霊
粘り気の多い暗さの夜の中で
酔ひは私の心と眼をはつきりさせる
人の心の奥底にただよふ
かよわい優しいものが
ただ月のかがやきに掩はれて
私の酔つた心にうつらない
どこの家なみにも
夜を素直な生活の一日の終りと
たやすく運命を定めた人々の
寝息にも似た静かな話し声
ただこゝに酔ひと怒りとに
永遠を信じ、未来を信じ、
あすの日はたやすく敵にあけわたす城を
はげしくこばむ人々も絶えはしない
信ぜよ、夜の暗さの中に
眼をかがやかし冴えたる心をもつて
明日をまつ夜の霊のあることを
月下逍遙
夜露にぬれた路をとをつた
月は高くのぼり
孤独な丸さをもつて
人間界との距離をつくらうと
懸命な狡猾さで光り
その月は幾代も前から伝はる柩のやうで
すこしの新鮮味も感じない
私はその時かう思つた、
私は私の生活を一番よく知つてゐる、
神聖なものではない
醜い藁でつくられた巣のやうな生活
窓から月をながめるときも
純粋にはみることができない
打算的な眼光がそれに加はつた
この世には純粋無垢などといふものはない
それでも私はそれに近い生活をのぞんでゐる
混乱と苦痛との幾日
月夜はつづき
私はのべつまくなしに
人間の死といふことを考へつづけながら
夜となれば郊外を逍遥[*「逍遥」は原文では「ぎょうにんべん+尚、ぎょうにんべん+羊」]する
光つた道路よ
混睡状態にある私は
平坦な路も
坂を登るやうな心の苦痛で
路いつぱいに照してゐる月に
腹いつぱいの悪態を吐いてみる
おゝ、月よ、光つた道路よ
友よ、
いつさいのものよ、私をゆるしてくれ。
私の楽器の調子は
半生は満足するほど敗けたから
残りの半生を満腹するほど勝ちたい
ふるさとでの少年時代は
一日中、草の葉のゆれるのをみて暮した、
人間はなんにも語つてくれなかつた
波が終日私にさゝやいた
淋しい生活ををくつた
私がこんなに多弁な理由がわかるだらう
愛にも飢えてゐたから
いや愛するといふ方法を知らなかつた
私は復讐戦にはいりたい
敗北者たちの泣ごとは
私の周囲に鳴る鈴のやうに
快感を覚えても決して苦痛ではない
智識がどんなに私にとつてワナであつたか
学問がどんなに私の足を挟んで
前に倒したか
私はそれを知つてゐる
私の望んでゐたもの――、
それはどんなに無内容にみえても
新しい現実の基礎となるものを求めた
他人が私の詩を無内容だとか、
単純だとかいつて批難してきた、
それらの批難者も、詩人も、批評家も
いまは一人も影を見せない、
私の詩は将に詩ではない
殊にあの人達の理解の中での
詩であつてはたまらない
私の陽気も、強情も、
私の快活も、多弁も、
もつとも低級な意味で
本質的であれと思ふばかりだ、
私は待つてゐる
古い人間ではない
古い智識や、古い学問ではない
待つてゐるのは新しい人だ
私は確信をもつて歌ひ
生活をつづける
私の詩は新しい人に理解されるだらう。
泣虫共はただ一瞬の流れの上の
木の葉のやうに過ぎ去るだらう
私の楽器は
古い人達の楽器とは調子が合はない、
夜の小川
あゝ、人生の味といふものは
なんて舌の上に絶えずたまるものだらう
私は幾度コクリと嚥みこんだかしれない
いくら嚥みこんでも
いつもこ奴は舌の上に這ひあがつてくる、
自分の舌を自分で噛むほどの
愚かしい生活をつづけながら
命のあるかぎり
生きねばならないといふことは
どういふことだらう
桜草や三色菫はまだ咲かないのか、
冬のさくばくとした土の色からは
春の気配などはお世辞にも感じられない
ただ雲の流れは早く
人の死ぬことが度々あつて
私は朝の新聞の黒枠を見ると
いつも思はずニヤリと笑ふ
咆えるより能のない犬が
けふも空地で咆えてゐる
こ奴がもし咆えるかはりに
火を噴く動物であつたら
千匹も飼つてをいて
東に向けて放してやるのに
新聞でみるとバクチ打が屋根からとびをりて
腰の骨を折つてつかまつた
政変があるとか無いとか
花屋の娘はきまつて花のやうに
首をかしげて店番をしてゐるし
しづかな波の打ちよせるところには
かならず小さな形の揃つた
貝殻がうちあげられてゐる
米買ひに十軒あるき
炭買ひに十軒あるき
よく疲労してよく眠る
靴下は穴があくし
カラーは汚れるし
書籍はろくなものが出版されない
馬は徴発されるし
大学の教師の放逐と
学生のカフェー通ひ
あゝ、うるさきことの数々、
もし日没といふものがなかつたならば
これらのもの、これらの出来事も
夜の眠りといふ救ひをもつて
幾時間かを化石にすることがなかつたなら
人生などといふ脆いものは
一日ぶつかり合ふことで
粉微塵に砕けてしまふだらう
救ひのない地球の上を
高い悲しげな声で走りまはるものは風だ
泣きはらした眼のやうな色で月が出て
夜つぴて樹が口笛をふきまくる
これらの自然の奴等だけが
人間のやることを何にもかにも認めやがるのだ、
意地の悪い女が
襦子の襟巻をかけてボンヤリ見てゐるやうに
突立つてゐる黒い森、闇の衝立、
砂糖の水のやうに甘くながれてゐる夜の小川
人間の世界を取り囲んでゐる自然の奴等は
滅びることの不安をもたない冷酷さで
ただ沈黙を守つてゐる。
約束しないのに
冬がやつてきた
だが木炭がない煉炭がないで
市民はみんな寒がつてゐる
でもあきらめよう
とにかくかうして
季節がくると冬がやつてきてくれたのだから、
僕の郷里ではもつと寒い
冬には雄鶏のトサカが寒さで
こゞえて無くなつてしまふこともあるのだ
それでも奴は春がやつてくると
大きな声で歌ふことを忘れないのだから
勇気を出せよ、
雄鶏よ、私の可愛いインキ壺よ、
ひねくれた隣の女中よ
そこいら辺りのすべての人間よ、
約束しないのに
すべてがやつて来るといふこともあるのだから
なんてすばらしいことだ
約束しないのに
思ひがけないことが
やつてくるといふことがあると
いふことを信じよう。
気取屋の詩人に
君にとつては人生は、
温突《オンドル》の上のやうなものだ
いつもポカポカ暖かい
君等はいゝ星の下に生れ
いゝ身分で詩を書いてゐる
人生至るところに
ベッドありと
すぐに温かいところを
みつけてもぐりこむ
僕を饒舌遊戯
乱作詩人だと罵つた
もつとも僕は食事中でも詩を書く
ところで君たちは
あまりに寡作主義にすぎる
マスクをかけた歌うたひ
きゝとりがたいことを
ゴモゴモ口の中でいふ
一年にかぞへる位おつくりになる
つまり小鳥のやうに
ちよつぴり召しあがつて
ちよつぴりお垂しになる
僕たちは働く詩人だ
たくさん喰つて
太い糞をするよ
君は――男のくせに
女形のやうに容子ぶつて
原稿紙にむかふ
月経(つきのもの)でも
あつたやうに
二十八日目に
一篇おつくりになる
苦痛は愛されてゐる
彼等はほんとうに
人生を辛いと思つてゐるのか、
深刻らしい顔をしてゐるが、
みたまへ彼等はまだ靴を履いてあるいてゐる
ポーランドの子供ははだしで逃げたのに――、
しかも彼等の靴は鳴るのだ
そして足はこの皮をもつて保護されてゐる
頭を見給へ
帽子がのつてゐる
胸を見給へ
ヒラヒラするネクタイが
舌のやうに風を舐めてゐる
何にもかにも彼等には残つてゐる
そして苦痛だと叫ぶ権利も残つてゐる、
すべてを失つたものだけが
現実が辛いとか
人生が苦痛だとか言へるのだ、
しかし彼等はすべてを所有してゐる
彼等の周囲には
怪しげな苦痛がのこつてゐて
そつと彼が腰掛けると
下から忍びあがつて何時の間にか
膝の上にあがつて主人に可愛がられるのだ
彼等の苦痛とは
猫よりももつと静かで
狡猾と温かい膝の上で
愛されてゐていい代物だ
しかも猫のやうに彼等の苦痛は表裏がある
生活の上では享楽的で、
文章や言葉の上でだけ人生の苦痛を説く
何が辛いのだ
何が苦しいのだ
すべての苦痛はよき酔ひである
失はれてゆく血を自覚したものだけが
真の苦痛を叫び
それを訴へる。
義足のやうな恋
愛はどんなにあわただしく
義足で駈けるやうに
ちぐはぐでも
調和された長さで走るやうに
動揺の中を駈けぬけるものだ
愛とは
若い時代、
若い年齢、
はかない花弁の散る一瞬間のやうに
空漠とした中に
茎だけが残されるやうなものであつても
青春の通過しなければならない義務を
果すやうな勇ましさでたちむかふ
なんといふおかしなことだ、
深刻に語ることの、
意義のふかさは
愛の言葉の中で
証明される最大のものだから
じぐざぐと走る義足のやうな恋。
都会の歩道
とびとびに赤いボタンを
ならべたやうな花、
緑色の外套を
ひつかぶつたやうな野、
私の眼の底の
春の大地はなつかしい、
その思ひ出も
いまはきれぎれになつた、
都会の灰色の物蔭で
不良児
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