のかたまりを――




女は言葉で追ひつめて
男を自殺させる
力をもつてゐる
しかし男はなかなか
死なないだけなのだ
死にかはるものに
混乱といふものもある
私は運命のかなしさを
知り始めてから
愛をいつも屈折のある
むづかしい表情や心をもつた人に
求めようとする
私は傷つき易く
治ることが遅い心をもつてゐる
女よ、男をからかはないでくれ
距離をおいて軽蔑されるために
向ひ合つて座つてゐるやうな時間は
実に耐へがたい
雨が降つてゐる
彼女はやつて来ないだらう
私は雨の中をみてゐる
硝子戸越しに
外套をきた人の影が
痩せた動物のやうに
肥えた動物のやうに
細くなつたり太くなつたり
近づいたり、遠ざかつたりして
影は消えてしまふ
待つとも待たないとも
言ふことのできない焦だち
机の上には心を落ちつかせる色をしてゐる
ヱリカ、アポレリアの花、


類人猿

私は人間になりきれない
類人猿の悩みがある
私は人間になりきれない
いや――私は人間になつてやらない
もし環境でも変つたら
人間にならう
それまでは私は
狂ふやうに歩く
眠つてゐても窺つてゐる
叫んでゐても考へてゐる
泣いてゐても笑つてゐる
すべてが敏感だし、
環境だけが
私を猿の苦しみから救つてくれるだらう
どんな環境か――、
そんなことはちよつといへない、
そのときまでは救ひきれない
私は走りまはる
私は一切を愛する
私は悪女のやうな深情をもつてゐる
そして人間よりも活動的だ
そして何ものをも
自然から奪つたものは
自然へかへさない


黒い月

私は郊外をあるいた
月があまりに強く光つてゐて
月がかへつて黒く見えて
あたりが白く見えた
物語りめいた
黒い月など
みつけてしまつた
貧富の明暗
ビアズレイの画のやうな
白と黒との世界
世の中は黒い月をみつけるほど
なんでも逆になつてしまつた
恋とは失恋するために――
一生懸命になることだし
生命を縮めるために
生きてゆかうとしてゐる
黒い月が光るので
あたりが白くなる
印度人は白い服を着る
お前が黒い服を着たなら
却つて色が白く見えるのに
黒い月が光るので
なにもかも世の中が逆になつた


今日の仕事は

酒に水が割られなかつたとき
私といふ国民の傍に
ほんとうの酒があつたとき
私は飲むことを忘れなかつた
いまは忠実な国民として
全く禁酒してゐる
をかしなことには
酒をのんでゐたときよりも
はるかに痲痺的となつた
いつも頭の芯が熱してゐて
朝の新聞も頭に入らない
何やら政治的花形が
叫んでゐるやうだが
うるさいばかりだ
けさもまた民間飛行機がとんでゆく
あゝ、人生が二重にうるさくなつてきた
物語りは地上だけで
沢山なのに――
さて今日の仕事は
炭をさがしにゆくことか


反省の中で成熟する

吾が友よ
私等若さに就いて反省する日の
なんと暗い沈みがちなことだらう
だがこのことを怖れるにはあたらない
ただ生きるのだ
働くものも、徒食するものも
いまは全く平等な不幸の中にゐるのだから
良心と呼ばれ、正義と呼ばれるものも
いまはただ生きぬくといふことで
証明されるのだから
若い反省の糸は
死へはつながれてゐない
ただ無反省な死のみが
地球の廃滅を早めるだけだ
無反省な死――ヨーロッパの出来事がそれだ、

吾が友よ
毎朝暦をめくり給へ
ときには女の子にも心を動かし
たまには美しい天でも仰ぎ給へ
それからカツレツでも喰へ
すべて若さは反省の中で成熟する
時は若い力によって遮断され
知恵は新しく登場をするだらう


人生の青二才

生き抜くことの難かしさに
なげかはしい心で
思ひわずらふことよさう
私の最愛の友よ
私はそれよりも死を手招くことで
一日を生きのびようと思ふ
そして死が迎へにやつてきたら
お前を招いた覚えがないとうそぶかう

楽しい我々の人生よ
これほどまでに精神を砂利のやうにされて
それでゐて君と僕とが突立つてゐることに
ほんとうの意義のあることを感じ合はう
犢をたらふく喰つた瞬間の勇気をもつて
蕃人のやうに喧嘩を売りにゆかう
我々はまだ人生の青二才だ、
がまんのならない一秒間のために
元気を出せ


世界の力

どこへ行つても
新しいと言はれる人間に逢つてみても
少しも私の眼には新しいとも
ちがつた物体にも見えない
とほりすぎる猫の姿態を
すばやく眼にとめることがあつても
馬鹿ヅラをした人間の顔は
私の頭のどこにも印象されない
おそろしく珍らしいものの
なくなつた地球となつたものだ
道徳も古びて修理がきかず
愛するとはなんぞや――、
それは袂別を怖れることで精一杯だ
真理とは――、
それはおたがひが勝手に
ハンカチをそれにひたせば満足できる
十二色の染壺のやうなものだ、
インキ瓶とはなにか――、
それは硝子の器である、

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