(気絶して、硬直して仰向けに倒れる(間)いざり達突然立ちあがり叫ぶ)
○いざり二、(高く絶叫して)おれたちは、立つた。
○いざり四、おれたちは自然に負けないぞ、今度こそは、貴様を、百姓の鞭でひつぱたいてやる
○いざり一、さあ、尻を出せ、眼に見えない天の馬め、
○いざり三、打ちこめ、打ちこめ、打ちこめ、自然の風の中へ鞭を、打ちこめ、
○いざり一、風の運行を速やかに
○いざり二、すべてはたつた今、始まつた許りだ、
○いざり四、すべては新しいんだ、
○いざり二、おゝ、新しいもの、新しいものよ、来れ、男子[#「男子」に「ママ」の注記]
○婦人合唱隊、嵐の中をよろめきながら、四人のいざりの傍へ集団的にやつてくる、そして四人のいざりは一つの記念碑のやうな位置にをかれ、合唱隊は高くいざりの群を支へる。
○合唱(婦人、いざり、男子)おゝ、新しいもの、新しいものよ来れ、奇蹟と名つけられるものを強く肯定せよ。 ―幕―
託児所をつくれ
一
この長詩を書くための材料に
本棚を熱心にかきまはしたが
探す本は発見らない
黒表紙で五十頁余りの
吉田りん子といふ詩人の
『酒場の窓』といふ詩集だ、
捨て難いものがあつて
時々本棚の整理で本を売り飛ばす時も
傍に除けてをくのだから
何処かにまぎれ込んでゐるに相違ない
私は彼女を『奇蹟の女王』と名づけてゐる。
二
彼女が突然詩人のグループに現はれると
詩人達が彼女の周囲に集つた。
布切れの真中をつまみあげると
布の周囲が寄つてくるやうに――、
詩人は女好きだとは頭から決められない
詩人は女に対しては相当選り好みがやかましいのだ、
一個所欠点があると
その一個所を蛇蝎のやうに憎む詩人やら、
他人が欠点と見るところも
勝手に美化し合理化し拝み奉る詩人もある。
三
――何てすばらしい縮れ毛だ
彼女の髪をみてゐると
荒れ果てた庭を見るやうだ、
何となく寂寥と哀愁が湧いてくる。
さういふ理由で縮れ毛の女も愛される、
――僕は、彼女を直感的に好きになつたよ、
皮膚の色が普通の状態ぢやないね、
あくまで白く、透明だ、
陶器の白さではない、
玻璃器の白さだね
つまり肺の悪い女の美しさが
僕の心を一番捉へるよ、
こゝでは肺の悪い女性も歓迎される、
四
――私の異常な美を発見する女といふのは
妊娠三四ケ月目の女だ
彼女の細胞が新しく変つてゆく感じだ、
皮膚の色の美しさ、
喘いでゐる呼吸が
女を感情的に見せる。
詩人は電車の中で
異常な美しさの女をみつけた
女の顔に注いだ視線を
胸元から腹部に落す
彼女の帯は蕗のトウを抱へてゐるやうに
ふつくらとふくれてゐた
妊娠も詩人にとつては美しい。
五
ところで女詩人吉田りん子は
どの種類の美しさの所有者であつたか
特別これといつて変哲もない
小柄な体、脚を活発にはこぶ女
小さな頭、黒い顔、二十二歳にしては
落着いたもの言ひ、
小説家の林芙美子を近代的にして
彼女から卑俗さをぬきとつた、
脱脂乳のやうな淡白な甘みをもつた女、
適宜に男に向つて性慾的な
容子をすることも知つてゐる。
六
すぱりと男のやうな決定的なもの言ひ
それで何の悪意も感じられない、
男に対してはいつも批判的態度を失はぬ
彼女はこれが唯一の武器だ
女に負けることを
楽しみにしてゐる男にとつては
彼女は女将軍で
男達はしきりに彼女の従卒になりたがる、
なんて気の利いた断髪の刈りやうだらう
断崖のやうでなく
柔らかな草の丘の斜面のやうに、
彼女はなだらかに刈りこんでゐる。
七
実は私も彼女が嫌ひではない
もつと正確に言へば、
嫌ひな部類に属する女性ではない
しかし私は少しばかり時間が遅れたやうだ、
切符売場にはずらりと
男達の列がならぶとき
列の後で私は待つてゐる根気がない、
彼女を中心にして
座席争ひで男達は戦はねばなるまい、
憂鬱な話だ
私は男達の女争ひの
観戦武官に如くものはなからう。
八
薄つぺらな詩集を出版した位で
特別に美しくもない彼女が
何故こんなに詩人達に騒がれるのだらう、
彼女が奇蹟を行ふ女のやうに
特別な雰囲気を身につけて
突然に現はれたからだ、
そこには時代的な理由も大いにある、
彼女は現はれ、彼女を中心にして
展開された恋の闘ひの
勝負けのタイプが
恋愛合戦に加つた詩人の運命を
急速に変化させてしまつた、
彼女は詩人達の運命を
決めるため忽然と現はれた不思議な女であつた、
九
恋の観戦武官である私は
当時手に負へない象徴派の詩人であつた、
彼女の出現頃から急激に思想的転廻をして
コンミニスト詩人の陣営に入つたのだ、
思想の三角洲の真中に吉田りん子が立つてゐる
――あなたは、あちら
――君は、そちら。
彼女が男の詩人達にそれぞれ階級的所属を指図し、
片つ端から整理したやうなものだ、
詩人の大西三津三彼もまたコンミニスト入りの
契機を彼女に与へられた。
十
悪意の無い男を
誰かに求められたら
私は躊躇なく大西三津三を挙げる、
現実は狡猾で詐欺的なところだ
そこねられない人間が
狡猾な世界に一人でもゐるといふ事が既に奇蹟だ
彼は二十五歳だ、
少年のやうな可愛い眼をしてゐる、
女に対しては謙遜で
女の命令は絶対的にまもる
彼に言はせると
女は真実で真理そのものだ――、といふ
『女を欺すのもよからう、
僕は女に欺されよう、女に最後まで欺されよう』
その結果はどうなるだらう、
男はほんとうに心から
女に欺されたものなどは一人だつてゐない
多くは欺されさうになると
切りあげてしまふ――と彼はいふ。
十一
大西の欺され方は徹底してゐる、
女は最初彼を欺むく
女が欺す手段がつきたときは
彼女は純情になるさ――、
根気のよい男だ、
トコトンまで女の感情に
追従してゆく強さをもつてゐる。
彼が予見したやうに
女が純情を捧げだしたとき
彼は逆に優位者の立場に立つ、
彼は勇者のやうに
今度は一歩も退却しない、
彼は幾人かの女に欺され
最後には女に感謝された。
十二
彼は水が引くやうに
あつさりと女から手をひく
女には勝利の想出が永遠にのこるのだ、
りん子の詩集出版記念会が
新宿の小さな喫茶店で開かれた、
大西は詩集を彼女から贈られ、
彼女の噂もきいてゐたので
多分に興味も手伝つて会に出掛かけてゆく、
三十人程の詩人が集つた、
彼女は少女のやうに
自分の席から眺めまはす
個々の男との交際は多からう、
しかし斯う沢山の男が自分を中心に集つたといふ
始めての経験が彼女にとつては珍らしく
顔を栗色に輝やかす。
十三
彼女は来会者をながめ
知人や好意のもてる人には
強く意味ふかい視線を送る。
会は楽しくない、白けきつてゐた、
彼女を褒めることは彼女に惚れ
批評することは悪くいふことになつた、
詩人達は早く会が
終ることを望んでゐた、
温和で陰鬱で飛躍的な動作をとる詩人達の性格が
焦々とその飛躍の時を待つ
誰か素晴しいテーブルスピーチで
その場を弾力的なものにしなければ
無言劇に終りさうだ。
十四
六人の詩人が卓上演説をやつた、
大西三津三も何やら自分にも他人にも判らないことを
口の中で言つてのけた、
『エロテック』『エロテック』
といふ言葉が
彼がしやべつた沢山の言葉の中で
特にはつきりと人々にきこえた
人々は始めて声を揃へて哄笑し
幾分会はなめらかになつた
だがその頃は会を閉ぢなければならない。
十五
人々は会が閉ぢても未練がましく
会場を去らないのが
文学者の会のしきたりだ、
先輩にあいさつしたり後輩を手なづけたり
帰りに何処かで一杯飲まうといふ
暗黙の間の相談など
会場を去り際の時間に行はれる
りん子の会は珍らしく
人々は潮が引くやうに会場を出てしまふ
りん子を中心に十人の詩人達が
ぞろぞろ喫茶店に繰り込んだ、
其処を出て次には酒場に入つた頃は
十人は六人に整理され減つてゐた。
十六
りん子や男達は酔つ払つて
バーの女給達のサービスを
必要としないほど
隅にをけない余興がとびだした、
酒場を出た、全く夜になつてゐた、
――りん子さん、今夜は貴女は何処へかへるつもり
――わたしだつて帰る家位あつてよ、
――いや、いや、これは失礼しました。
帰るところを尋ねるなんて
対手をたいへん軽蔑したことになる、
美しい彼女が泊るところがないなんて
想像するさへ愚劣なことだ
男の住んでゐる世界であれば
彼女の泊るところはある筈だのに
十七
――いや、実は、りん子さん
誤解しないで下さい――。
どうです諸君、今夜は『酒場の窓』の
著者を中心にして夜を徹して語りたいと思ふが
諸君、賛成してくれ給へ――
何といふ素晴らしい提案だ、
女を中心に徹夜で語る
話題が尽きたら男達は
殴り合ひをしたら退屈は救はれる、
どうやら、さういふ危険な座談会になりさうだ、
怖気づいて二人の詩人は去つた。
そこで六人は四人に整理された、
残つた者は何れも勇敢にして選ばれた者だ。
十八
――誰かこのうちで独身者が居ないかね
そこの室を借りよう、
みんな四人共独身者だよ、
親がゝりや、間借人は駄目だよ、
夜通ししやべるんだから
周囲に気兼ねをするやうぢやね
誰か、一軒家を借りてるものがゐないのか
尾山清之助、君のところがいゝ
さうだ賛成だ
尾山は最近独身者になつたのだから、
衆議一決した、
尾山は一ケ年程前に妻を喪ひ
六つのサクラ子といふ
遺児と暮らしてゐた
四人の勇者達は
たがひにりん子をいたはりながら
東中野の尾山の家へ繰り込んだ。
十九
尾山の家は男住ひの寒々とした感じであつた、
尾山は隣家にあづけてをいた
わが児のサクラ子を連れて来た
サクラ子は不意の沢山のお客に
眼をみはつてをどろいた、
間もなくはしやぎ出した
りん子も妙に落着いた気持になつて
勇敢に安坐を組んでよくしやべつた、
『動物詩集』を出した草刈真太は
りん子の傍を離れまい/\と
おそろしく努力を払つてゐた。
尾山は妻を喪つた後の寂寥さに
ときならぬ女客を迎へて
部屋の空気の和やかさを
楽しんでゐる風であつた、
アナアキスト詩人の古谷典吉は
彼女を半分だけ愛し
残りの半分は彼女の態度を眼に余つた
苦々しいものゝやうに沈黙してゐた
大西三津三は、たゞもう無邪気に
女の若さと語ることの嬉しさで一杯であつた。
次第に夜は更けてきた
反対に人々の眼は益々冴えて
沈黙勝になつていつた。
二十
夜は悪戯者で意地悪だ、
夜の計画は、夜は遂行できないが
昼の計画したことは夜できる
四人の中幾人かの詩人は
明るい間に計画してをいたこと
彼女を独占的に愛したいといふこと、
夜が来た、計画を遂行しなければ――、
選ばれた勇者は四である
それを一に帰さなければならない
りん子に対する四人の男の
心の探り合ひは一通りすんでゐた
だが、まだ/゛\勝負は決められない
飛躍といふこともあるからだ
二十一
一番りん子を愛してゐない男の
勝に帰するといふこともあるから
愛してゐないものが勝つなんて
さういふことは真理にそむく
真理を守るには戦はねばなるまい
戦ひ尽して負けてゆくことは本望だ
勇者の消極性は一番滑稽だ
弱者の精一杯の積極性が
時には勇者に勝つことがある
女を愛するには遠慮がいらない
戦へ、戦へ、今宵一夜の戦場であるぞ――。
と何処かで戦の神が叫んでゐるやうだ。
尾山の家は六畳、四畳半、廊下つきの家、
瓦斯も電燈も四ケ月前に切られてゐる、
ローソクを立てゝ詩に関して一同は熱弁をふるひ
果てはアナアキスト詩人古谷典吉と
大西三津三との激論になつた、
二十二
――ぢや何だな、大西君
君はしきりにアナアキズムを攻撃するが、
君は一体思想的には何主義を奉じてゐる詩人なんだ。
――僕は何主義も奉じてはゐない
たゞ僕はアナアキズムの自由は
前へ
次へ
全10ページ中6ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
小熊 秀雄 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング