いのならいくらでも書く、
僕は毛脛をぼりばり掻きながら詩を書いてゐる、
作者が緊張してゐないのに
読者が緊張して読んでゐてはおかしい、
しかも僕はうとうとと
居眠りさへもしてゐるのだ、
省線電車の中で
疲れた子供が体をぐにやぐにやに
柔らかにして眠つてしまふやうにだ、
そこで母親はあわてゝ『これ、これ』と揺りうごかす、
もし読者諸君に作者に対する愛があつたら、
――おい、君、どうした、起き給へ、
  そして詩のつづきを語り給へと
僕をゆり起してくれるだらう、
そこで僕は慌てゝ飛び起きる
突拍子もない高い声で話の続きをしやべりだす
ところで民衆の意志派達は
丘の上に立つて農民達に向つて
『われらの農民よ、
 自由のために立て――』
と叫んだとき、
燕麦の刈入れに忙がしい百姓達は
ちよつと手を休めて演説者を見上げた
『わしらの為めの旦那衆、
 立て、立て、言つても、立つて居られねいだ、
 かういふ中腰の恰好でなくちや
 燕麦ちゆものは刈れねいだから――』
ときよとんとして辻褄の合はない挨拶をした、
そのとき演説者は
なんて百姓とは判らず屋だらうと
すつかり感傷的になつて
天を仰いで大げさな
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