いに貧乏生活的になつてしまふ、
あの時の二人の生活は楽しかつた
二人の宿命の幕が開かれた許りであつたから、
いまはどうだ、ただかんたんに
言つてのけよう、
『それから十年の月目が経つた』と、
十年前台所で彼女がうたつた
ジョセランの子守歌は夫に封じられた、
彼女が巧みであつたサンタルチイヤの歌
“月は高く
 空にてり
 風もたえ、
 波もなし
 …………
 こよや友よ、船はまてり
 サンタルチヤ、
 サンタールチーヤ”
『よせ、愚劣な歌を、風もたえ、波もなしか、
 そんな、穏やかな現実に住んでゐないんだから
 時代は一九三五年だ
 無神論者の台所で
 サンタルチーヤでもあるまいて、』
男は罵る、女はピタリと歌をやめてしまふ、
風もたえ、波もなしの女の歌にかはつて
男はシェークスピアの
リヤ王のセリフを
机の上に片足をかけて大見得をきつて叫ぶ、
――吹けい、風よ汝《おのれ》が頬を破れ、
  荒れ廻れ、
  吹きをれやい
  汝《なんじ》、瀧津瀬《たきつせ》よ龍巻よ、
  吹け水を、
  風見車を溺らし、
  尖り塔の頂《いただ》きを水浸しにしてしまふまでも
  汝、思想の如く疾《と》く走
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