果してゐるだらうか、残念ながら、
「ロシアに頑固なる芸術家あり」
といふことを吹聴してあるくやうなものだ

   7

頑固な見本がも一つある
それはソビヱットの生理学者六十余歳の
バブロフ教授だ、
一九一五年の或る朝
助手が二十分程遅刻して研究室にやつてきた、
彼の顔はまつ青で、心も落着いてゐない、
「なぜ遅れてきたのか」
すると若い研究生は答へた。
「先生、街は、革命の市街戦でした、
 やつとこゝまで弾丸の下をくぐつて―」
すると教授は不機嫌な顔をした
「革命は革命だ、研究は、研究だ、
 なんの関係もない、遅刻することはよろしくない、
 さあすぐ研究にかゝり給へ―」

   8

多くの学者達が、革命勃発といつしよに、国外に走つた
バブロフ教授は
「ロシアはわしの永遠の祖国じや
 政体はなんに変らうが、
 わしは一歩もロシアを去らんわい」
と頑固に饑餓の中で研究をつづけてゐた
間もなく「バブロフを救へ」の声が起こつた
これは愛すべき頑固の一種だ、
シャリアピンも新しいロシアに一時踏み止まつて
新共和国のために貢献したが、
欧米巡業に出たきり
その儘亡命芸術家の群に投じて
どうしても
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