――あれを北斗七星といふんだよ
 ほら、あそこに光つた親星があるだらう
 そのそばに小さな星が光つてゐるだらう
 小さな方を支那では『輔星』といふんだよ
 ひとつ星占ひをやつてやらうかな
 親星の方を支那では
 支那の天子さまと呼んでゐて
 傍の輔星は『宰相』つまり内閣総理大臣
 といふわけだ
 ところでどつちが光つてゐるか
 昔の支那人はそれをためして占つた
 かう言つたんだよ
「輔星明かにして斗明かならざれば
  則ち臣強く君弱し」
「斗明かにして輔明かならざれば
  則ち君強く臣弱し」
「輔星若し明かに大にして
  斗と会ふ時に、則ち国兵暴かに起る」
 星を仰ぎながら天下の社会状勢を
 占つた支那人はロマンチックな人種だな

   四十六

――ひとつサクラ子ちやんの純真無垢の眼をもつて
 どつちのお星さんが光つてゐるか当てゝごらん
 しかしよさう、
 かういふ幼児に真実を言はせるといふ
 大人の押しつけは憎まれるべきだ
 我々大人が真実を言はなければならん
――おぢちやん、何をひとりでしやべつてゐるのよ、
 サクラ子眠くなつたの、おぢちやん何か歌つてよ、
 ママちやんはいつもおやすみのとき
 サクラ子に歌をうたつてくれたの
 かうやつてね、布団をたたいてくれたの
――サクラ子ちやん、
 それではおぢ[#底本の「じ」を訂正]ちやんが、朝鮮のお友達から
 教はつたアリランの歌といふのを歌つてあげよう
 そこで大西三津三は
 星を仰ぎながら小声で歌ひだした
 「アリラン
  アリラン
  アラリヨ
  アリラン峠を越えてゆく
  かくも蒼空に、星はあれど
  われらが胸は
  斯くもむなし」
 歌ひ終ると大西は寝ながらチヱ[#「ヱ」は小文字]ッと
 空にむかつて唾をとばし
 「斯くも蒼空に星はあれど
  我等が胸は斯くもむなし」かと
口の中で繰り返した、
サクラ子の肩を手で軽くたたきながら
もう眠つたらうと顔をのぞきこむと
サクラ子は冴えた眼をしてゐて
つづけて歌へとせがむ

   四十七

――ぢや、もう一つだけアリランの歌のつゞきを
 歌つてあげるから今度は温和しく眠るんだよ
大西は眺めるともなく空を視線で撫でまはしてゐると
視線は空の一角で一つの星が地上にむかつて
青白い光りの線と化して
流れ墜ちるのとぶつかつた
眼に強い刺戟をうけた
すると倦怠と脅えと疲労とが
彼を眠りの中に一気に引きこんだ
大西は睡魔と闘ひ、非常に努力しながら
とぎれとぎれにアリランの歌をうたひだした、
 「アリラン
  アリラン
  アラリヨ
  アリラン峠をこえてゆく
  富と貧しさは
  まはりかはるものなれば
  汝等、なげくなかれ
  いつかは君等にも来るものを」
歌ひ終つたとき全く眠りが彼をとらへてしまひ
どこか遠くの方でサクラ子の声をきいた、
サクラ子はじつと大西の歌をきいてゐたが
「おぢちやん、こんどはあたいが歌ふ番だわ
 おぢちやん、おぢちやん、
 ―坊やはよい子だ、ねんねしな
  坊やの、お守はどこへ行つた
 おぢちやん、おぢちやん、おや、ねんねしてしまつたの
 ―あの山こえて、里行つた、
  里のみやげに、何もらうた」
サクラ子は小さな手で大西の胸を
歌ひながら夢うつつで軽くたたきながら
サクラ子が育児係大西を寝せつけた
やがて大西は雷のやうな、いびきをかき始め
つづいてサクラ子も小鼻をピクピク動かしてゐたが、
まもなく二人とも深く寝入つてしまつた、
すると周囲の草が、吹き過ぎる風の
衝撃をうけて生きもののやうに動き始めた、
人々がこんこんと寝入るときに
自然が怒る時を得たかのやうに、

   四十八

翌る朝、原つぱの上に陽が
高くあがつてしまつても
二人は死んだやうに寝入つてゐた、
まもなくサクラ子が眼をさまし
寝入つてゐる大西の枕元に
行儀よく、きちんと坐つたまゝで
大西が起きるのを何時までも待つてゐた、
大西があわてゝとびをきて
面目なささうにあたりを見まはし、
それから二人は沈黙がちに歩るきだした、
とつぜん理由のわからぬ怒りがこみあげてきた、
「おれたちは野宿をしたのだ、
 誰がそんなことをさしたのだ
 母親をなくしてしまつた可哀さうなサクラ子、
 ぐうたら詩人尾山を父親にもつた可哀さうなサクラ子
 最初の人生を野原に寝て味はつた可愛[#[愛」に「ママ」の注記]さうなサクラ子
 この子をこれから誰が育てるのか、
 託児所をつくれ」
大西はカッと眼をみひらいて空を睨んだ
そのとき朝の太陽は
「そいつは俺の知つたことぢゃない、
 お門違ひだ、託児所のことは政府に頼め」
と太陽はゲラゲラ笑つたやうに思はれた、
「おぢちやん、何をそんな怖い顔をしてゐるのよ、
 サクラ子、お家に帰りたくなつたの」
「お家へ帰らう、そして厳
前へ 次へ
全25ページ中20ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
小熊 秀雄 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング