、天帝よ、先祖よ、
  面長奴が、わしから白服をうばつて
  カラスのやうな黒い服
  着ろとぬかす、面長の罰あたり奴、
  わしは嫌ぢや、
  白い服は死んでも殺されても脱がぬわ
  哀号――、哀号――、哀号――、
老婆《ロツパ》は消えいらんばかりのかなしみと
驚愕とにわなわなしてゐる
規則は怖ろしい力をもつて
ゐることを知つてゐるから
今にも服をはぎとらられさうな恐怖に
とらはれて頭を低く
大地にこすりつけて哀号する、
――騒ぐな婆ども、
  うぬ等は、ついこないだも
  泣いたり、咆へたりした許りだ
  なにかにと………[#「………」に傍点]の改正には
  出しやばつて反対しくさる、
  白服を色服に変へぬ輩《やから》は
  ………………[#「………」に傍点]の主旨に
  …………ロクでなしぢや、
  さかさハリツケものぢやぞ、
面長はなだめたり、すかしたり
朝鮮の伝統的な白服を
新しい服装に改めさせようとする、
だが深いところから
水が流れてゐるやうに
老婆たちの悲しみも
深いところからやつてきてゐる
老婆は憤りと悲哀の列をつくり
夜の幕は年寄たちにとつて
重い袋のやうに心によりかゝる
足どりも力なく帰つてゆく
朝鮮よ、
お前はよし老婆達に
白衣永遠の伝統を死守させたとしても
自然の大地と、人間の心とは
その伝統をうけつがない
やつれきつた朝鮮よ、
若者たちだけが
お前の本質を知つてゐる
若いものは鉄のやうに堅い靴をはいて
鉄のやうな足音をたてる
としより達は虚ろな木履を鳴らし
精一杯不平をいひながら
面事務所から連れだつてかへつて行く、
夕靄の中に老婆の一団がかへつてゆくと
靄の中から突然老婆の
鶏の叫び声に似たさけびがきこえてくる、
数人の男と老婆の群はもみあつて
山路から崖へ逃げをりようとする、
男の一団はその行手をさへぎる
――くそ婆奴
  貴様の着物を
  これこの通り汚してやらう、
――ろくでなしの
  トクタラ婆奴
  どうしてもウヌ等が
  その服を脱がうといはぬなら、
  わしらは染屋の
  役をかつて出るわい、
逃げまどふ老婆は男達の
足で蹴られたり
手でうたれたり、
男たちは大はしやぎで
犬が老いた鶏を追つかけ廻すやうに、
手に手に墨汁をたつぷりつけた
筆をふりあげて
肩から斜めに
墨をもつて老婆の白衣にきりかゝる
――誰ぢや、
  そんな無道なことをするのは
  としよりを虐めて
  ろくなことは無いぞえ
老婆は金切声をあげて逃げ廻つたが
男達は熱心に飛びかゝつて
老婆達の白衣をさんざんに汚すことをやめない、
老婆のたかい悲しみの声はながかつた
朝鮮の夜のしづかな周囲に
ひとときの騒音がたち、
まもなくひつそりと元の静けさにかへる、
面事務所の男達の計画的な
墨の襲撃にまつ黒に汚れた
老婆のみじめな白衣、みだれた髪、
顔を歪ませて立ちあがり、立ち去る。
夜が明けると
村の老婆たちは何事もなかつたやうに
近所誘ひあつて
洛東江の河岸に打揃つて出かけてゆく、
汚された白衣を
ざぶりと水にひたすと
河は瞬間くろい流れとなる
そしてやがて黒い一條の流れは
しだいに薄れて
河下に去つてゆく
老婆の憤りの表情も
しだいになごやかになつてゆく
トクタラ、トクタラ、トクタラと
洗濯台《パンチヂリ》を陽気にうちだす
たがひに顔見合はせて
強くすべての出来事を肯定しようとして
いたいたしい微笑の顔にかはつてゆく
かよわい手をふりあげて
強く石をうつ
強く朝鮮の歌をうたひだす
黒くよごれた白衣を棒《パンチ》でうつ
うつパンチも泣いてゐる
打たれる白衣も泣いてゐる、
うつ老婆《ロツパ》も泣いてゐる
打たれる石も泣いてゐる
すべての朝鮮が泣いてゐる


長篇叙事詩 魔女

叙事詩「魔女」の人物

海羅義丘(    )
千敬太郎(青年)
天羅多吉(独立画家)
富士光雄(渕[#「渕」に「ママ」の注記])
マリア (    )
悪魔  (    )
魔女  (    )
姉   (    )


序詩

すべての女の読者諸君よ
いまは時代の過渡期です、
若しあなたに
恋愛に就いての
真[#「真」に「ママ」の注記]ねんがなかつたら、
恋することはお控へなさい
でなければ貴女の
教養と財産にとつて
この上もなく危険がやつてきます
若い女よ
あなたに若し時代的に恋する若い
勇敢さがあつたなら
私のこの物語りを参考にしてください
日本の悪魔と魔女と
聖母がどのやうに
三つ巴で血に塗れたかといふ
経験に耳を傾けて下さい、
   ○

第一章 悪魔の散歩、

   一

『泣けるか、お前はこの世の
 ささいな出来事に就いても、』
『喜べるか、お前は退屈な人生にも、』
『笑へるか、お前の運命に、虚無的でなく』
悪魔の散歩は籐のステッキで

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