と
想像すれば間違ひがない、
編成されたプラムバゴ中隊、
――中隊、前へ、
――中隊、駈け足、
――中隊、全速力、
――中隊、飛行機より早く、
――中隊、悪魔のやうに飛べ、
中隊長の号令は、矢次早やに下され、
今日で二日二晩の強行軍、
悪魔のやうに休みなしに前進した。
――中隊長殿、
われわれは咽喉が乾いたでアリマス。
――馬鹿ッ
咽喉がかわいたら水をのめ、
だが砂漠には一滴の水もない、
――中隊長殿、
われわれは腹がへつたでアリマス
――腹がへつたら飯を喰へ、
だが飯盒には一粒の飯もない、
世間にはこの中隊長のやうに
平凡な一語で、切実な訴へを
沈黙させることがすこぶる多い、
可哀さうにプラムバゴ中隊の兵士達は
一日に百数十里(支那一里は約六丁)
昼夜兼行、中隊長に追ひまくられた、
兵士たちの疲労は極度に達し、
顔を見合す元気もなく
眼玉はギョロリ白眼が多くなり、
唇は乾燥しきつて
絶えず舌でなめてゐなければ
唇がくつついてしまひさうだ、
――中隊止まれ、
中隊長は突然命令したが、
一人も立つてゐるものがなく
全中隊の兵士達は
大きな響をたてゝぶつたをれた、
倒れると同時に、大いびきをかくもの、
犬のやうに、ハアハア舌を出すもの、
両足を痙攣させてゐるもの、
唇をとがらしてゐるもの、
咽喉を引つ掻くもの、
――中隊出発、
――中隊全速力、
またもや悪魔のやうに走りだした、
人間界で醜態と名づけられる行為が、
だんだんと色濃く兵士達の
行動の表面に現はれだしてきた。
兵卒たちは荒くれ男、
だが中隊長の体に手をかけるやうな、
勇敢な男は一人もゐない、
ズラリと兵士たちをならべてをいて中隊長は
兵士の額にむかつて訓示をし
それが終ると、くるりと廻れ右させて、
今度は兵士の後頭部に命令した、
すると彼等は、しやにむに走つた。
額を訓示で撫でられて
後頭部を命令で殴られたやうに――。
兵士の不格好な頭には
どこに大脳があり、どこに小脳があり、
神経中枢はどの辺にあるか
支那の指揮官は
ちやんと兵卒の頭の構造をしつてゐる、
適宜な処を命令で撃つ、
するとまるで反射的に
兵士は頭が承諾しない間に
足が駆け出してしまつた、
そして百支里も走りだして
第一に足が疲れたと言ひだすと、
今度は頭が足に猛烈に共鳴し、同情しだす、
それに胃の腑も参加するやら
心臓も加はるやらで
これらのものは最後には
仲間喧嘩の掴み合ひを始める、
指揮官の声を後頭部が
次ぎ次ぎと引き取つて
――命令を伝へるだけだ、
兵卒がこんな心理状態に陥ると
指揮官は機嫌がよい、
敵に接近するまでは
指揮官はこの兵士の固まりを
右に廻り、左に廻り
あらゆる側面から声をかける、
小さな村に到着したとき
兵卒たちはヘトヘトになり
家の土壁にそれぞれもたれた、
すると村の人達はぞろぞろ現れて
プラムバゴ中隊が
掠奪をしない先手をうつて
大きな豚の丸焼を三頭
広場の真中にもちだした、
まだ尻尾のあたりの毛が燃えてゐるほど、
ほやほやの焼きたて豚、
火にあつた豚奴はすつかり
脂肪のかたまりの本性を現はして、
ギラギラ光り、図々しく横たはり動かない。
なんといふ充実した食物だらう。
兵士は四方の家の壁から
ゾロゾロと村の広場に集まつてきた、
豚の丸焼をとり囲んで
たがひに首をかしげだし、
何か遠いところの物を
考へるやうな眼つきで
とろんと豚を見下ろした
子供がお化けのキンタマを
みつけたときのやうに――、
そろそろと、おつかな吃驚り
指をもつて豚にさはつてみる、
――さあ、兵隊さん沢山召上れよ、
兵士はそれには答へずに言つた、
――いつたい、これは何だ、
――まあお前さん達は
何処の国の兵隊さんだね、
支那の兵隊さんが
豚を忘れてしまふとは、可哀さうに、
よつぽど腹がすいて、眼がくらんだのだらう、
豚だよ、豚だよ、
そつちが頭で、こつちが尻尾だよ、
お前さんが糞をすると
尻をいつもナメてくれた、可愛い
あいつだよ、
――ああ、あいつか、豚か、
――みんな来い、それ豚だ、
プラムバゴ中隊は食慾の混乱に陥つた、
そしてたがひに争つて
何処から先に喰はうかと
たがひに躊躇してゐる風だつた、
その時だつた、
中隊長はじつとこの光景を見てゐたが、
彼は胸を張り、大きく一つ呼吸をしたと見る間に
天地に轟く声を張りあげて
――中隊、出発
と呶鳴つたものだ、
豚を囲んでひしめき合つてゐた兵卒たちは
驚いて地上に一尺も飛び上り
瞬間、不動の姿勢をし、
たちまち味覚の妨害に憤りが爆発し、
腰の剣を一斉に抜き放ち
たがひに口々に
――畜生、
こんな豚喰へるか――、
こんな豚喰へるか――、
と気狂ひのやうに豚に切りつけ、
唾を吐きかけ
豚の原型をなくするほど
切つて切つて切りまくり、
御叮嚀にも誰かゞ小便までひつかけた、
――中隊、駆け足
――飛行機より早く、
――悪魔のやうに飛べ、
兵士は走つた、
だが豚を前にして流したヨダレは
だらだらたれて十支里位停まらなかつた。
――中隊とまれ、
向ふに白くテンテンと見えるのは
蒙古包だ、
あいつを襲へ、
喰ひたい放題、
見たい放題、
奪りたい放題、
飲みたい放題、
為たい放題、
蒙古人のものはお前のものだ、
お前達の好きな放題から選べ、
あんまり慾張つても、時間がないぞ、
すぐ出発だ、
判つたか、そのつもりで、
掠奪始めッ――。
プラムバゴ中隊は活気づき、
靴音は乱雑に駈け出す、
蒙古包の入口から荒々しく飛びこむ、
婆の悲鳴と、男の叱声、剣の音、
布を引き裂く音、鍋釜がぶつかる音、
あらい雑音が家の中からきこえてくる、
――何でも放題の中から
まつ先に何を選ばうか、
棚には食物がどつさりある
高価な毛皮はとり放題、
きよろ、きよろ、見廻せば見廻すほど
決心がつかなくなる、
――あゝ、居た、居た、
先づあいつから先だ、
幕の蔭に小さくなつて
ふるえてゐる蒙古娘を、
どこの包へ押し入つた兵士もみつけた、
期せずして幕の蔭の可憐な******
奪り放題にとびかゝつた、
中隊の兵士の数だけ
娘の数がゐるとは
なんといふ神は公平なものだらう、
と彼等は心に思つた、
若し一人だけ娘の数が足りなかつたら、
きつと二人の兵士は決闘を始め、
どつちか一人が斬り殺されてゐただらう、
中隊長は笑ひながら全中隊の
兵士の行動を観察してゐる、
包の中で兵士はそれぞれ娘を押へつけた、
娘は悲鳴をあげて必死と抵抗し、
蒙古娘が力が強かつたし、
兵士は腹がペコペコで力が抜けてゐたから、
おかしなことには娘は跳ね起きて
どこの包の中でも兵士が娘に組みしかれた、
兵士は苦しまぎれに娘の手を引つ掻くと
――この助平兵隊奴、
娘は兵士の頭に拳骨を喰はせる、
兵士はたいへんな暇をかけて
やつとの思ひで娘を組みしいた、
――もう大丈夫だ、
なんて気の荒い狼ムスメだらう、
組みしきながら右手で
やさしく娘の肩をたたきながら
左手でズボンの釦の数をかぞへてゐる、
兵士のズボンには、五つの釦
兵士はそれを四つはずした
五つ目の釦に指をかけたとき
――中隊、出発
中隊長の呶鳴り声
兵士は驚ろいて飛び上る
――いゝ、畜生
こんな豚喰へるか、
こんな豚喰へるか、
いやといふほど娘の横ツラを殴りつけ
恐怖にふるへる娘を尻目に
兵士たちはプリプリ怒つて集合する、
彼等は頭を痙攣のやうにたて横にふりながら
畜生、畜生とうなる、
ひしひしと迫る饑餓と疲労とに
――もう、この世に
喰へるものといつたら
何一つないんだ
彼等は心にかう思ひこんでしまつた
――中隊、前へ
――中隊、駈け足
兵士たちは理由のわからぬ憤怒が
しだいに波のやうに
高まりこみあげてきた、
敵が近づいてくるやうな予感が
一層この憤怒をけしかけた、
プラムバゴ中隊の兵卒は
中隊の列に野良犬が迷ひ込むと
スパリと剣で首を切り落す、
木の枝が足をすくつたといつては
畜生奴と切りつける、
走る中隊を追ひ風は助け、
中隊の後には
一群の植物プラムバゴも
ぞろぞろついてゆく、
唾を吐き、目をいからし、泣き、絶叫し、
沈黙し、走りながら小便し、
眠りながら怒号し、
砂地をすぎ、草原をすぎ、丘をすぎたとき
行手の銃声は豆を煎るやうに
益々はつきり聞えだし、
中隊長の顔は緊張し、
兵士は焼豚と蒙古娘をののしり、
草を剣で切り倒しながら走りつゞける、
丁度その時、プラムバゴ中隊と
同じやうな心理状態、
同じやうなスピードで、
走つてきたのは日本の一個中隊、
丘の高みで二つの敵味方がぶつかつたとき、
指揮官たちは思慮深く後退し
樹の蔭に立膝をついて
たゞ一語、突撃――と叫んだ、
黄色い土埃りが、帯のやうに天に舞ひ上り、
高く前脚をあげた大きな馬が
二頭取つ組み合つて
しばしもみ合ひ
金具をガチャ/\鳴らすやうに、
何か不快な金属の触れ合ふ音がしたかと思ふと、
プラムバゴ中隊の全員の上着は
みるみる真赤な上着になり
でも勇敢に、剣をふりまはし
日本兵に切りかゝり
口々に彼等は叫ぶ、
――こん畜生、
こんな豚喰へるか、
こんな豚喰へるか。
空の脱走者
機関士
舵をあげろ 同志ワフラメヱフ
君はなんといふ眼をするのだ
そんな眼差しを何処に隠してゐたのだ。
我々の飛行隊では
君はけつして、そんな悲しさうな
表情をしたことがなかつた。
操縦士
心はいつも泣いてゐたさ、
心は眼には反映しなかつた、
ソビヱットの現実に追従してきたのだ。
ゲ・ベ・ウに対する恐怖は一日ごとに大きくなつた。
恐怖がつのればつのるほど
私の顔は心と反対に――。
大げさに、快活になり
笑ひふるまつたのだ、
あらゆるものが、ゲ・ベ・ウに見えた、
私の心臓までもゲ・ベ・ウになりやがつた。
刺す虫までも邪険に
毒を私の肉体に注ぎこんだ。
私は周囲をみまはした、
君等の心臓がなんといふ
真実な太鼓となつて
建設の歌をうたつてゐるんだらう
私はそれが理解できなかつた、
君等は大きな声で、大つぴらに
ソビヱットの悪態を吐《つ》いたり、
また歓びの声をあげたりしてゐる。
それが不思議なんだ、
どうして諸君は、
あんなに率直に語ることができるかと――。
機関士
可哀さうな、ワフラメヱフよ、
君はいま、歩いてゐるんぢやないんだよ、
君は金属の鳥に乗つてゐるんだよ、
しつかりしてくれよ。
見給へ、下を、
君は一分間に我々の飛行機が
幾つのソビヱットの林区を
飛び越してゐるかを知つてゐるか。
操縦士
私は知らない――。
地図、コムパス、を無視してしまつた。
飛ぶところへ、飛んでゆけ、
私は飛行機に乗つてゐるんぢやないんだ。
空を歩るいてゐるんだ。
何て早い靴だらう。
私はいま私の運命を
短時間で解決してしまはうとしてゐるんだ。
もし私が、私の所属部隊、
沿海洲ワスクレミヱンカ飛行、
第三十編隊兵舎から
この満洲の国境まで、
テクつて来たとしたら幾日かゝるだらうね、
想像しても怖ろしいことだ――。
あらゆる河を、路々呑み乾しても、
私の苦痛に乾ききつた咽喉は治らぬだらう、
友よ、この空飛ぶ靴を私に借せ、
同志ドミトリー君よ、
君はパラシュートで飛び降りれ――。
君はソビヱットに降りれ――。
私は機体を満洲国へ突入しよう。
機関士
君はまるで駄々つ子だよ、
一台の飛行機に
二つの闘争が乗つてゐるんだよ、
君が私を愛してゐる友情と、
私が君を愛してゐる友情と、
どつちが熱烈だらうか。
私はソビヱットを愛してゐると同様に、
君をもほんとうに心から愛してゐるよ、
階級的行動は、離れ離れではいけない
すべて共働性の上にたつてゐなければならない、
若し君と私との友情が、
我々にとつて断ち難いものであつたら
君は私に、どういふ方法をとつたらよいか、
それを教へてくれ給へ、
操縦士
私には判らないのだ、
私は君の友情のために苦しいのだ、
私は――君を同乗させて
きたといふことは失敗だつた、
私は反ソビヱ
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