小熊秀雄全集−4
詩集(3)小熊秀雄詩集1
小熊秀雄
序
たぐひなく美しい幻に満ちた東洋の国日本の過去は、私の祖国として愛着措かないものである。
そして同時に美くしかるべき私の国に、私といふ悪魔の相貌をもつた子が生れたといふことに就いて、私は何者かに充分責められていゝ。
今茲に私の異態の知れない思想を一冊の詩集にまとめて世におくるといふことは、喜んで良いことであらうか、悲しんで良いことであらうか、私自身わからない。
或る者は私の思想をさして、人道主義であるとし、或は悪魔主義、或は厭世主義の詩人であるとし、またロマンチストかリアリストか軍配を挙げ兼ねてゐる。私はこの一ケ年間あらゆる角度から、千差万別の批評をなげかけられてきた、もし私に真理を信奉する不屈な負け嫌ひな態度がなかつたならば、私はいまこの詩集を世に出すに先立つて、私は世間的な批評の重石で、ぺちやんこに圧死してゐたであらう。ともあれこゝに私の思想の小体系を一冊にまとめて、民衆の心臓への接触の機会をつくり得たことはこの上もなく嬉しい。
読者諸氏は私のこの詩集の読後感として、『ある特別なもの』を感じられることと信じる。従来の詩の形式、詩の概念に、何かしら新しいプラスを私の詩から感じられたことと信じる、それは他でもない私はその詩人としての力量と可能な力をもつて、これまでの日本の詩の形式へ破壊作業を行ひつづけてこれまで来たその幾分の収穫である。真に民衆の言葉としての『詩』を成り立てなければならないといふ私の詩の事業は、果敢ないものであるが、私の本能がそれを今後も持続させるだらう。
或る者が『小熊は偉大な自然人的間抜け者である』といつた言葉が私をいちばん納得させた評言であつた、私は民衆の偉大な間抜けものゝ心理を体験したと思つてゐる、民衆はいま最大の狂躁と、底知れぬ沈欝と現実の底なる尽きることのない哄笑をもつて、生活してゐる、一見愚鈍であり、神経の鈍磨を思はせる一九三五年代の民衆の意志を代弁したい。
そしてこの一見間抜けな日本の憂愁時代に、いかに真理の透徹性と純潔性を貫らぬかせたらよいか、私は今後共そのことに就いて民衆とともに悩むであらう。
一九三五年五月
小熊秀雄
I
蹄鉄屋の歌
泣くな、
驚ろくな、
わが馬よ。
私は蹄鉄屋。
私はお前の蹄《ひづめ》から
生々しい煙をたてる、
私の仕事は残酷
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