そらすのであつた
あるものは憎々しく見る、
あるものは何かしら漠然たる気に喰はなさをもつてゐる。
彼が峻厳に語るとき
聴き手は耳をふさぎ
ゆるやかに砂の崩れてゆくのを想像してゐる、
あくどく追求してゆくとき
人々は従順さうに路をさける、
追ひつめた時人々は悲鳴をあげる
そしてそのものにとつて最大の力をもつて
打ちかゝつてくる
だが人々のなんといふ可憐な力であらう、
その可憐さによつて
辛うじて生活の波を
小さく打ち砕き己れの住居に
平穏さを与へてゐたのかと
彼が考へるとき彼はおかしくなつた、
同時に彼は弱者に対する
哀憐は彼にとつては苦痛の感情にかはつていつた
弱いものを蔑すむにはあたらない、
だが弱者の慾望の限界を憎む
彼は己れの慾望の波の高まりの正しさを
あらゆる形式で
立証しなければならなかつた、
奪ふもの、
それは決して遠くからばかりとは限らない、
もつとも手近な人々からも
決して奪ふことを避けてはならない。
彼はそのことを
はげしく実行しようと企てた。
善良の頭目として
私は善良の頭目として
噛み切れない思想を
柔らかく
噛み砕いてゐる
病人にはお粥を
赤ん坊にはウヱハアスを、
私の言葉に驚ろいて飛びあがれ
――理解されない思想は
恥辱だそ、
静粛にしろ
マルクスからの伝言だ、
きのふ墓場で彼は
私の肩をたたいてかういつた
――わしはもつと
真理を
単純に
説いた筈だが――と
そこで私は
一つより知らない
片言のロシア語で答へた、
――タワリシチ (同志)
マルクス (マルクスよ)
ヤポンスキイ (日本人は)
マアリンケ (小さくて)
ホダホダ (駄目だ、駄目だ)
私と彼とは
声を合してハッハと笑つた
日本人の人柄は
一望千里の大きな思想を
もち扱ひ兼ねてゐる
日本の智識階級は
プロレタリアにではなく
十二支腸のために
イデオロギーを説く
口から入つて
尻まで出るのに
なんと手間ヒマの
かゝることよ、
――お早うございます
お竹さん
さよなら、
鸚鵡のイデオロギイの一つ覚えを
深刻な猿の金切声を
玄関から追つ払へ、
私は善良の頭目として
直さい、無垢の言葉をもつて
若い新しいお客を迎へよう
詩はオブラートなり
情熱は下剤なり、
私の善良、単純な
笑ひをもつて
人々の悪寒《おかん》を救ふ
高い所から
青い海原の竜宮城
そこの竜宮城の王様は
高い物見の櫓《やぐら》を建てよと
とつぜん魚の建築師に御下命ある
『王さま
魚民共は不景気で苦しんでゐます
今は左様な出費は
適当とは思ひません』
と忠告する
『建築師よ
いやいや、それはわしの享楽のために
けつして建てるのではない
わしの息子や娘のために
ヤグラの上から魚民共の
生活を見せようためぢや
子供たちが
下情に通じなくては
立派な竜王として
わしの後継にもなるまいからぢや』
建築師は恐縮三拝
竜王の思慮のふかさ
魚民を思ふふかさに感激し
そして高い物見櫓は
城の中にたてられた
可愛らしい王の息子や娘たちが
そこへ上つて下を見おろす
子供たちはヤグラの上ではしやぐ[#「はしやぐ」に傍点]
――あれあれ、あそこを
海藻のかげを
汚ならしい格好をした
物売りが通つてゆく
――あれあれ、あそこを
珊瑚の樹の下で
泣いてゐるものは
なんだらう
カツオやマグロやトビウオ達
警護のものは大慌て
櫓から見える範囲のところの
住民どもに厳しい命令《おふれ》
――肌ぬぎで庭に出るのはいけない
――赤坊のおムツを乾すことはならぬ
――戸外にでゝ夫婦喧嘩は相成らぬ
竜王や子息さまの
すべて目ざはりになることは
櫓から見えるところで
やつてはいかん
犯したものは厳罰ぢや
そしてヤグラの下の
所謂、民情は
しだいに整頓され清潔になつていつた
しかし王の子供達には
何の教育にもならなかつた
そして人々はしだいに
櫓の下から離れて
とほくに住居を移して行つた
闘牛師
私は詩の闘牛師
牛とたたかふ人気者であり
派手でありたい
民衆はほんとうは詩人を愛してゐる、
だが、これまでの詩人が愛されなかつたのは
すべての詩人が嘘つきであつたからだ、
友よ、銅鑼が鳴るとき
連れだつて揃つて
気取つて出て行かうよ、
個性にピッタリとしたスタイルをしてね、
細心に、堂々と、そして鋭い武器を手にして。
現れよ、
最も肥えた精悍な奴
我々は風車とたたかふドンキホーテではない、
必要なものはドンキホーテの
不撓不屈の精神であつて
ドンキホーテの選んだ風車であつてはいけない、
選択せよ、
君は敵の種類を
死んだものではなくて
生きたものを、
ああ、牛は我々の肉体から
血を欲してゐる、
我々はこばむ
我々の尊い血を護るために、
そして我々はたたかひに出てゆく、
どうして我々が、怒つてゐる牛と民衆の前で
八百長などやれるなどと思ふな
汗をながして精一杯にたたかふだけだ、
最も敵を猛らすものを
取り出すことに臆病であるな、
赤いマントを、ひいらり、ひいらり、飜へして肉迫するとき
いかに相手のするどい角を避けつゝ
相手を倒すことが
困難であり
技術が要るかを考へよ。
シェ[#「エ」は小さい「ヱ」]ストフ的麦酒
我々は軽蔑されよう、
我々は愚劣さを誇示しよう、
その時、我々はきつと陰気でなく、
機嫌よくそれをせよ、
我々は大胆不敵であるとき
何処からともなく
そよ/\と爽快な風がふいてくる、
心と体とがマリのやうに弾む
我々が道徳を無視する瞬間は
我々は古い船から
新しい船へ飛び移つたときだ、
岸から突き離してしまへ
古い道徳の入つた船を
河がどんなに美しく流れてゐようと、
彼等の眼には愚劣な姿態にみえるだらう、
我々は我々の神経の火花を
河の上の花火のやうに
火薬の爆発の瞬間のやうに
楽しまなければならない、
曖昧でないものはない
君はそれを信じなければいけない、
すべての物がまだ曖昧さにあると――、
もし君が曖昧さを真実憎むのであつたら、
そのものに就いて憎み燃え尽きることだ、
私はにくみつくし
そして更に綿々としてにくしみは続く
私は彼等を
驚ろかすに足りる妖怪と
なることをむしろ名誉とする、
私は首をはねられるときまで
歌ひつづけることができるらしい、
私は咽喉をうるほすとき
ビールの運命をしみじみと
考へてやつたことはない、
あるひはビールの奴は私の酔つぱらひを
笑つてゐるかもしれぬ、
だが私はいつも私のために
奴を平然と呑み下す
だが友は私のやうにしない
シェ[#「エ」は小さい「ヱ」]ストフ的に麦酒を悲しんでのむ、
それは彼にとつてはビールを
のんだことにならないだらう、
ビールを吐き出したことになるだらう、
私は対象を吸収するために
この世に生れてきたものだ、
私はかうした朗らかな方法をとる
無産者の健康法だと思つてゐる
だから私は真実に酔ひ
且つ健康でゐられるのだらう。
それぞれ役あり
大きな邸に十人の女中、
五人の書生、
書生さんの言ふことには
わしらの仕事は楽にちがひない、
一人の書生は
朝から縁側に腰かけて
手にした筆に水をひたしては
御主人の御愛玩の蘭の手入れ
一枚一枚その筆で葉を洗ふ仕事
それを毎日繰りかへす。
一人の女中さんは
お米を一粒づつ選む仕事
虫喰ひのないやう、
欠けたのがないやう、
完全な丸さのお米を選む、
一人の女中さんは、
その米を三時間
ザクリザクリと
玉のやうに磨きあげる仕事、
一人の女中さんは、
狆の散歩の御相手、
一人の書生さんは、
坊ちやまの御相手、
坊ちやまと言つても
当年二十三歳の坊ちやま、
この大坊ちやまが空気銃を手にして
大きなお庭を走りまはるとき
彼は空気銃の弾を
手の上にのせて尾いてあるく役、
それぞれ役あり、
すべて芽出たい
かなしい役ばかり。
真人間らしく
自由を愛する道化師が
笛をとられて
指をくはへてゐるわけにはゆかないから、
わたしは吹くのだ、口笛を、
ところ嫌はず吹きまくるのだ、
ピューと、口笛を、
安眠を妨害するのだ、
人間よ、
泣かずにゐて
泣いたツラをしてゐるお前、横着者よ、
怒らずにゐて
怒つたふりをしてゐるお前、卑怯者よ、
さあ、さあ始めたり、
私のピヱロのやうに
真に泣き、真に怒り、
真にあいつらに刃向つてみたまへ、
どいつも、こいつも
真人間らしく
気取つて洋服など
お可笑くて、着て歩かれるかつていふのだ、
身をくねらして悪態を吐き
咽喉を押へられたとき
すばらしい、時代のうめきと呟きを
皆様に御披露したい、
そして私は、自分の額を
自分の手で打ちながら
かういふ時代にふさはしく
まず額をうつ自己批判からの
演技にとりかゝります。
相撲協会
大きなものを形容して
国技館のやうだといふ
あそこはまつたく大きいからね
大きな円天井でがらんとしてゐる
力強いものを形容して
相撲の四本柱のやうだといふ
がつちり四つに組んだ向き合せよ
出羽ケ獄よ
泣くな
君にふさはしい棲み場所は
全く国技館よりないと
泣く程思ひ込んでゐるとは
無理もないことだ
すべての移り気の多い
観客の中にあつて私は唯一の
君の支持者でありフワ[#「ワ」に「ママ」の注記]ンだ
出羽よ泣くな
大きなもの力強いものが
どんどん揺れたり
倒れたりする職業《しやうばい》を
将来もつづけて行つたらいゝ、
相撲にも新しい考へが入つた、
君の仲間
天龍関其他三十余名が
髪を切つてザンギリにするとき君は、
『おらあ、村に帰つても
飯は四人前喰ふし
不景気な村には暮してゐれねい
おらあ、相撲を失業すると
死んでしまふわい』
君だけは特別な条件で
髷を切るのはゆるされた、
人を切るのが武士《さむらひ》ならば
飯を喰ふのはお相撲さんだ、
一個の弾が
空からふんわりとをちると
何米突四方かの煙があがる、
何米突四方かの利権が
君が朝飯の粥をさらさらやるとき
四人の百姓が腹をへらしてゐる
君は不生産的なスポーツだが
われわれを楽しましてくれる、
だが所謂国技の継承者として
日本の食糧問題に就いて
感想がありさうなものだ、
武蔵関は
個人主義的に解決した
相撲をやめて拳闘入り
彼は牛を馬に乗りかへた
彼は幾分かしこい
そしてブルジョアスポーツの仲間入り
君は純情に泣き
相撲に永遠の未練を残す
君は君を産んだ
母親を決して恨んではいけない
君は何時か、村を出発するときの
ことを覚えてゐるだらう、
『この児は実に良い体格ぢや
相撲がよい、
将来は相撲にさつしやい――。』
と村長を始め村の衆が騒ぎたてた、
『あのとき作男か
水車番にしてくれたらなあ――』と
君は決して母や村の衆を
恨んではいけない、
村の作男や水車番は、
今はあべこべに斯う思つてゐるのだ、
『相撲にでもなつてゐたら
粥位はすゝれて居るだらうに』と
だが今では相撲も百姓も
粥をすゝれない点では同じことだ、
残るところは何処か
大テーブルを拡げてゐる広野
そこには鑵詰と重食パンと
飯とが豊富だ、
村の子たちはこのテーブルに坐れば
まず喰ふ方は心配がいらない、
国民のことごとくの食糧はこゝに、
君は寸端れの巨大漢として兵役免除、
食事の皿の上に
突然弾が落ちてくると
食事半ばに箸を投りなげて突戦だ、
だが再び残した飯を
食べに帰るものが何人あるだらう、
君は村の若者たちの辛苦に対しても、
君は君の頭の上の
髷に感謝して良いと思ふ。
私はお贔屓の一人として忠告したい、
君は近頃さつぱり相撲勝負では
闘志がなくなつて
転んで怪我をしないやう、
しないやうにその事許り
気にしてさつさと手をつくといふ
噂がもつぱらだ。
噂するものには噂をさせてをき給へ。
妙な意地を張つて
無理な転びやうをし給ふな、
体も大きいだけ怪我も大きいだらう
怪我をして母親を心配させるな
協会では君をけつして
失業させないだらうから安心したらいゝ
君は土俵に立たなければならない
小学生の人気のためにも
君が是非大きな
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