小熊秀雄全集−2 
詩集(1)初期詩篇
小熊秀雄

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[表記について]
●ルビは「《ルビ》」の形式で処理した。
●ルビのない熟語(漢字)にルビのある熟語(漢字)が続く場合は、「|」の区切り線を入れた。
●二倍の踊り字(くの字形の繰り返し記号)は「/\」「/゛\」で代用した。
●[#]は、入力者注を示す。
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●目次
奪はれた魂
天井裏の男
海底の凝視
乳房の室
風呂
子供たちに
白い蛇
危険な猟師
踊る人形
酒場と憂鬱
月夜
煖炉
春情は醗酵する
箱芝居
裸体
停車場
三本足の人間
女の情慾を笑ふ
硝石を摺る
ねんねの唄
追憶の帆舟は走る
北国人と四月
散文詩 ローランサンの女達よ
新聞紙
散文詩 泥酔者と犬
散文詩 白痴アンリー・ルーソー
歩き出す情慾
煙草の感情手品
春情――三人集――
炭坑夫と月――夕張印象――
愛奴憐愍
海景
蝦夷
北国人
妊娠した石
無神の馬
日没の樹
結晶されたもの
雪の夕餉
窓をまもる男
掌に生へた草
初雪の朝に
かなしき曙
二人の生活
田舎の光沢
潮騒
祖先の下山
種族の花
都会の饑餓
樺太節
バラバン節
白い雀
供物
東京ドンドロ節
彼は行儀が悪い
新定型詩人に与ふ
ゴルフリンク
聖書は私の母でない
漫詩 親孝行とは
散文詩 鴉は憎めない
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奪はれた魂

地軸に近い何所かで
うづもれた
世にも稀なる紫ダイヤを
とげ/\と骨ばかりのやせこけた
悪魔たちがまるくとりまき
ひからびた手を繋ぎ合ひ
にやにやとした
もの倦い足どりで
踊るたびにからからと音がする
   ◇
ちやうどそれのやうに
ちやうどそれのやうに
かつて失はれた俺の魂は
かつてうばはれた俺の魂は
柔かく
滑らかな琥珀の頬と
熟したザクロの唇とをもつた
美しい悪魔が
青くはげしく燃える俺の魂を
しなやかな白いくすり指で
さんざん何処かで
弄んでゐることであらう
   ◇
しかし美しいサタンよ
お前が何時か濃緑の絨氈の上に
そつと置きわすれていつた
青銅の壺にはいつた
魂の小さいカケラを
俺はしつかりと握つてゐる
   ◇
お前はその魂のかけらを
俺からうばひ返さうとして
夜な夜な灰色の夢に忍び
いまさら傷ついた俺の魂を返し
柔らかいキスで
俺を釣らうとするのだが
お前の魂のかけらが
狂はしく手に燃焼するまでも
俺はいつかな返へしはせぬ
   ◇
俺は! 俺は俺は
煖炉の焔に熱した呪詛の烙印を
お前の額の白い肉に押しあて
ぢりぢりと焼けたゞれる匂ひと
おくれ毛の燃える匂ひを
存分に吸はしてくれるまでは
お前の
魂のかけらは永遠に返しはしない
  一九二三、一、一二


天井裏の男

ひしやげた屋根の下に暮らす俺達の心は
みんなひねくれなものだよ
この灰色の六畳間を
俺はあつちから! こつちへ
何回同じことを繰り返したことであらう
見ろ
こんなに成つてしまつた
さゝくれ立つたすり切れた
じめじめと陰鬱の涙のこもつた
薄汚ない古畳を

その部屋の真ん中に
『望み』といふ碌でもない屑綿を
どつさり詰め込んだ
向ふ見ずの乱暴者の
煎餅蒲団の反撥を
じつと尻の下に押さへつける仕事もあんまり
楽な仕事ではない

傷だらけの机の上の
偽善者の出しや張屋の
真鍮の豆時計と一日にらみあひ
俺の頭の髪に一本でも白髪の多くなりますやうに
一日も早く地球が冷却して行きますやうに
この善人が速に地獄に墜ちますやうに
俺はお祈りして居るのだ……


海底の凝視

なんといふ混濁のみな底だ
俺の凝視をちから強く追ひ返す
みな底の
凝視の主はだれだ。
   ×
砂にうづもれた
重い赤銅の壺であつたなら
あをい燐光をはなせ
漆黒の
魔女の脱け毛であつたなら
なよなよと
水面に浮かんでこい
   ×
おお…俺は…お前の
どす黒い水の厚さに魅せられて
心のふるひが止まらない
心のふるひが止まらない
   ×
おお…それは
しんとしたうす暗い深林の
黄昏の炎樹に
なかよく抱きあつて死んでゐる
白い獣達のながす
赤い液体が
谷底の苔をつたつて海にいり
砂鉄の微粒となつて
魅力の凝視をはなすからだ
   ×
ああ…月が出て月が出て
歪んだ月が出て
水面の皺が
にやにやと笑つてゐる。
青じろく
笑つてゐる。


乳房の室

壁も天井も丸テーブルもすべてが肉でみんなぶるぶるふるへて
みんなだるい汗をながして
歩るくとじわじわと音がして
からだが上つたり下つたりする
棚におかれた肉製の百目蝋燭が
げんわくの香気をはなして
じゆじゆとあぶらのもえるやうに
恋のほのほがねんせうする。
   ×
乳房の室のたそがれには
あかい服の侏儒たちがあせみどろになつて
媚薬の調合に
かちかちとふらすこを試験管をならす
室にならべられた水晶の壺にくすりがいつぱい溢れたとき甘い媚薬の蜜に
たくましい白蟻が集ひ
よつて、踊つてなげいてゐる
そしてみにくい争闘に日をくらす。


風呂

なないろ光線のげんわくのあとにあんこくのさくれつとなる
小気味よい世紀末がきたなら
おれたちふたりは
灰色のだぶだぶの服をきて
べろべろ笑ひの笛をふき
手に手に琥珀の椀を持ち
をんなといふをんなの
みわくの動脈から
いつはりのぶどう酒を
いつぱいづつ貰つてあるかうよ
いつぱいづつ
貰つて歩かうよ

さあみんなこい
みんなこい
さあみんなこい
みんなこい
にごつたぶどう酒の
千人風呂にひたつて
そして男たちは魂の傷ぐちを洗はう


子供たちに

街を歩むとき
手をふり元気よく
おあるきなさい
夜やすむとき
足をうーんと伸ばして
おやすみなさい
ちゞこまつてはいけません
日蔭に咲く花のやうに
みじめに
しなびてしまひます


白い蛇

ああ
あまつたるい重くるしい夜のくさむらで
白い蛇が二匹
こんがらかつてくるまつて
だきあつてねむつてゐる
しあはせな蛇である。
うらやましい蛇である


危険な猟師

この猟師は獲物のない
いらいらとした猟師です
火をつけた火繩をぶんぶん廻しながら
街をいそがしく歩きまはる
弱虫で向ふ見ずで臆病でなまけものの若い猟師です

だんだん
だんだん
火繩の火がもえ移つて親指に密着くと
あわてて口火をつけるのです
それが劇場の人ごみの中でも
手応へのない澄んだ碧空へでも
自分の咽喉笛へでも
その筒口の向いたところ
いきあたりばつたり火蓋をきる
まことに、まことに

若い危険な猟師である
きまぐれな猟師である


踊る人形

みなさん。
このがらすばりの箱の中の
いかにも
ひからびて
やせこけた
哀れな人形の踊りをみて下さい
この人形はいつも
をんなじ服をきて
ぴよんぴよん。ぴよんぴよん
をんなじ踊りを
おどつて居ります
ああなやましい
みじめな人形はわたしです。


酒場と憂鬱

酒場の時計は陰気な時計だ
この卓子《テーブル》をひつくり返して了へ
コップが
途方もなく臆病な金切り声をたてゝ壊れ
白い洋食皿が
げらげら笑つて壊れた
ソース瓶のソースの色が
俺の腐つた血によく似た色だ
   ×
いつでも いつでも
俺の顔をじろじろみる
卓子《テーブル》のもくめの奴がしやくに障る
まあよい……まあよい
俺は機嫌をなほして
五色の酒をつくらう
そしてはにかんだ女のやうにうつむいて
そつと呑まう
   ×
あれあれ
この室の中のお月様は
妙に青白いお月様だ
俺の舌をビフテキにして
刃のない洋刀で
ちび/゛\刻んで喰ひたいものだ


月夜

月のない、あかるい月夜
あをじろい月夜
あひびきの女がどこかのくらやみにひそむ
あをじろい月夜
笛が鳴つて
笛が鳴つて
按摩の笛が鳴つて
きえてしまつた月夜
いるみねーしよんの松の樹に
首くゝりの首が
のびたり、ちぢんだりしてゐる夜である
なやましい月夜である


煖炉

ダクダクダク×××胸
この暖気の中から女が生れる
ダクダクダク×××胸
この暖気の中から情慾が生れる
鉄瓶は踊る
蓋を廻る、湯気…………白輪
爪先から這ひ上る肌よ
強烈な酒を盛つたカップよ
テーブルを辷《すべ》つて来い
この聖者の魂の壁を
きまぐれに刻む
カリ××カリ…………と刻む
サタンよ、去れ
まだ……まだ、あいつは
煖炉の上でバタを溶かして居るな


春情は醗酵する

   一
真夜中の慾情は星のやうに青く輝き
さんらんと其処此処のくさむらで
露のやうに光りかがやいてゐた

しかしこの慾情も
冬の風景のなかにしづんでしまふと
ひからびた粘土のやうに
かさかさと風にとんでしまふ

かつては重たくやさしくもつれあつた
春情のおもかげも
こゝに寂しくやるせない悶々の思ひに
はるかにちりぢりにちつてしまつた
そのかけらはつめたい氷のやうで
いまさら拾ひあつめるすべもない

ふしあはせな北国の人々は
けふも真冬の風物に白くさらされて
血温は凍つた外界の大気とひとしくなつて
青春もむなしくふるへをののいてゐた

   二
或る日
男はすとをぶ[#「すとをぶ」に傍点]にあまりちかくよつて
腰をあたためすぎたので
病的にもあやしく手足をふり
はげしくはげしく手足をふり
膝頭をうちつけたり
両手ではげしくさすつたり
真昼の光線を浴びた蠅がよくするやうな
奇怪なまねをはじめだした
感情はますます激しく燃焼し粘着し
あやしい運動はますますはげしくなつてきた
男はなかば瞳をつむつたかたちで
霧のやうな空気のなかを
魚のやうにさかんにおよぎ廻つた
そしてひさしく凍結した氷海に
青い春情の波をみた
軽ろやかにあらだちさわぐ青い水をみた

   三
男はさめざめと笑ひはにかんだ
とほく秋のをはりの期[#「期」に「ママ」の注記]節のころに
街の児供らがつめたい大地に坐つて
ひとつ ふたつ みつ よつと
雹を帽子に数へひろつたころから
しだいにとぢこめられた濃霧の期節
男らの憂鬱な白塗の病院船は
赤きあかしをますとにうちふり
汽笛はぼうぼうと長くなやましく
ああ 標識を失ひさまよふかなしき航海船

   四
男はしみじみとおのが青春を掌にとり
春のやはらかな日光に照らしてみた
うれしくなやましい思ひに胸はいつぱいで
おのづと涙は泉のやうにわいてきた

ちやうど男は遠洋航海船の船員のやうに
港の赤い燈火をながめてはしやぎまはり
銅鼓を鳴らし
銅鼓を鳴らし
投錨の銅鼓にはげしく春情を唆られて
風のやうにすばやく軽装し
慾情の新らしいバスケットを提げて
あらそつて上陸した

   五
男は両手をだらりとさげて歩るきだした
爬虫類のやうな恰好で歩るきだした
ざらざらと蜥蜴のやうに足をひきずつて
そこらあたりいちめんの
青草に燃える野原をはひ廻つた

広野は春のまつさかり
人々は大地よりたちのぼる幽気を吸つて
みなしなやかに散歩してゐた

   六
女はあまり素足で青草を踏みさまよつた
あやしき外触覚の慾情に
歩みつかれたかよわき呼吸の
あやしき内触覚の慾情に
女はばたりと土に音たてゝ
そこの叢のふかさに坐つてしまつた

   七
ああすべて地上を歩むものは爬虫類である
蜥蜴、蛇、鰐、亀の類人間の類
みなつれだちて寂しくさまよひさまよふ
旅人はみな爬虫類である

女はいまなつかしい爬虫の感情がよみがへり
黄色な粘土の匂ひになやましく上気して
白いしなやかな指をふるはせながら
狂人のやうになつてタンポポの花をむしつてゐた

   八
男は蛇のやうに
ひつそりとはひよつて
かろくやさしく女の肩をたたいてみた

女は電気のやうに猫のやうに
ぱちぱちと火花をちらして男からとびのいた
春のきせつのはるばるとめぐりきた
喜びも忘れたかのやうに
秋のやうに青く澄んだ
寒色の瞳をしてしまつた

   九
男は女の瞳を
桃色の暖色にかはらすために
どんなに苦心をしたか
男はちからいつぱいの笑を女におくり
つぎにはしだいに重たく重たく
胸のあ
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