それは油蝉のやうにミンミン鳴く。
親愛なる雲も、
垂直に堕ちてきて私の行手を掩ふ。

街路にはしきりに足をひきずり
せはしく彷徨する人を見た。
その靴は貪婪な爪のやうに光沢あり、
それをもつてしきりに地面を掻いてゐるやうだ。
私はこれを見ると二重に苦しめられる、
私は乗物にのせられて、
都会から無人の境へそのまま
突き離されたらどんなに嬉しいだらう、
いや、私はかうして人間の渦の中に
暮してゐるのがよいのだ。

私は不意に凄然となつた。
軽く私の肩に手を触れ
その冷めたく触れたものは、
人混みの中にさつとかくれてしまつた。
私は周囲を見廻し、私は脅へ、
私は子供のやうに身ぶるひし、
私は其の場に、都会の大雑踏の
不思議な一瞬間を見た。
非常に怖ろしい勢ひをもつて、圧搾し、
それが急に天空に去つたやうに、
私は私の身体が、
真空の谿に堕ちてゆくやうに思はれた。
私は歯を思はず喰ひしばつて、
緊きしめられた空間に釘づけにされた。
その時、群衆は既に私と同じことを感じてゐた。
私の肩も、人々の肩も吐息の波を打つ、
重苦しくひとときを裁断したもの、
それは茫と霞んで白い
大きな翼の鳥のやうなもの、
都会の顔貌の一隅に降り、
またたちまち舞ひ立ち、おどろかしたもの、
それは何か、私の額を蹴つたものは何か、
若しやそれが私や人々が等しく感じてゐる
都会の饑餓といふものの正体ではないだらうか。


樺太節

ここは沿海州の波続き、ドン、ドン、ドン、
岩のしづくはアレ紫しづく、
ふつと見をろす、藍の淵、
誰れに飲ましよと、薬草とり、
ドン、この岩のぼり。

ここは沿海州の波続き、ドン、ドン、ドン、
海にうかんだアレ愛嬌もの、
ならぶアザラシ、海坊主、
恋にもつれて、水くぐり、
ドン、ヤレ、五連銃。

ここは沿海州の波続き、ドン、ドン、ドン、
流れ流れて、ホイこの海稼ぎ、
のぞき眼鏡で、底さぐり、
腕におぼえの車櫂、
ドン、この昆布取り。

ここは沿海州の波続き、ドン、ドン、ドン、
野原いちめん、花烟、
女ご忘れて暮らしはしたが、
丘の黒百合、悩ましや、
ドン、ソレ、春の風。
  (註)ドン、ドン、ドン、は囃言葉、又は太鼓をもつて波の音を利かす。


バラバン節

破れ銅鑼を、敲かうよ。
         バラバンのバン
壁の施條銃、何撃つ銃。
私しや悪党、血を見にや済まぬ。
山の険岨で、おがみうち。
         バラバンのバン

破れ銅鑼を、敲かうよ。
         バラバンのバン
月はぼんやり、街の上
やけのやんパチ、酒場の扉、
酔ふて、もたれりや、ギイとあく。
         バラバンのバン

破れ銅鑼を、敲かうよ。
         バラバンのバン
波は太平洋の、腐れ波
浮世ドブロク、この世は地獄、
心中しよにも、相手なし。
         バラバンのバン

破れ銅鑼を、敲かうよ。
         バラバンのバン
一万三千尺、富士の山
せまい日本が、一眼に見える、
お花畑で、カルモチン。
         バラバンのバン

白い雀

花崗岩の上に樹がある、
それは美しい桜の花であつた。
この種の奇蹟は到るところにある。
奇蹟を笑ふものに呪ひあれ。

広場に立てならべた銃は
天に舞ひあがるだらう。
革命旗は窓懸けになるだらう。
私は信頼する
ミカドの国の奇蹟を、
眩き日本の現出を、

日本はノアの箱船、
沈静な歓喜を積む。
同族の肌は、この小さな場所に寄り添ふ。
やがて新しい峯に到着する。

『君は見たか白雀を!』
『私は、白い雀を見ない!』
私は見た。錆びた樹の間を
飛んで行つた白雀を。
羽は光る。
優しい幻影の霧に濡れながら、
過去から可憐に飛んできたのを。


供物

われらは我が友を、
模糊とした祭神を
わが傍にはつきりと観察し
批判し、脆い古器物は
そのふるさとへ、土壌へ還し
新しい鉄をもつて
新しい精神の神殿をつくり
新しい信仰と延長し
われらの美とし、イリュジョンとし
海、山、の衰退に再び春を呼ぶ。

わがミカドは
われらの精神の上に鎮座す、
赫々とした葦を、
銀のやうな霧を、
いたるところに神跡あり、そこに供物す、
暁には厳として火焔はのぼる、
その日射のもとに
我等の拠る城を輝かせよ。
我等の若き精神を供物とせよ。


東京ドンドロ節

銀座裏なら 貉《むじな》の棲居《すまゐ》
  化けて化かされ
   化け放題
手れん 手くだも
小出しになされ
  種がつきたら 左様なら
   ドンドロ、あんどん、昼の夢。

浅草界隈 ガラガラ蛇よ
  降らす 賽銭
   空だのみ
堂の観音さま
お笑ひなさる
  女|惚《た》らしの まじめ顔
   ドンドロ、あんどん、昼の夢。

丸ビルよいとこ シャボテン林
  若い
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