展開されてゐる
――この人々のために良い日曜だ
――この人々のために天は晴れ
――この人々のために列車は出され
――この人々のために空気は澄み、
――この人々のために球は良く飛ぶ、
美しい縞模様のゴルフズボン、
軽快なハンチングの一群、
高らかな人もなげなる男女の笑ひ、
刈りこんだ芝生の上に
白い小さな球を置いて
ゴルフ紳士は左足を引いて立ち
容子たつぷりで
長い柄のついたシャモジでもつてカンと打つ、
――それ、小僧球だ、
吉弥は自分の頭を叩かれたやうに、
びくりと驚ろいて一散にそれ球を拾ひに駈け出す、
×
聖書は私の母でない
わたしが激しい憤りに
みぶるひを始めるとき
それはあらゆる「自由」獲得の
征途にのぼつたときだ
その時、私は不謹慎でなければならない
不徳でも
また貪慾でもなければならぬ
これらの悪い批評を歓迎する
下僕共は主人の規律を守らうとして
あらゆる既存の調和と道徳を愛する
『人間が犯し得る、あらゆる不善は
いづれも皆、公然と聖書に
記されたるもののみならずや』
――ウィリアム、ブレーク――
聖書もまた喰ひたりない
私が犯す不善は
聖書の中に書いてないから
聖書は私の母ではない
彼は私を抱き緊めることができない
歴史はまだまだ聖書に
かかれてゐない偉大な不善を
われわれの手によつて犯すだらう
然もその不善は
あくまで独創的な
プロレタリアートのそれである。
漫詩 親孝行とは
悪い紙芝居屋とあつたものだ。
子供を集めて
言ふことがふるつている
『諸君
子供諸君。
お父さんとお母さんは
夫婦だよ――。』
子供の中にも物識りがゐる
『きまつてらあ、
夫婦だから
夫婦喧嘩をやるんだい――』
『諸君、
賢明なる
子供諸君。
それでは親孝行とは
どうするか知つてるか。』
『知つてらい、
今は不景気だから
三杯飯を喰ひたけりや
二杯で我慢をしてをくのが
親孝行だい――。』
『諸君、
最も賢明なる
プロレタリアの子供諸君。
紙芝居の小父さんが
褒賞《ほうび》をやらう
欲しいものは手を上げろ
――よろしい
それでは早速飴をやらう
家へ走つて行つて一銭貰つて来い。』
散文詩 鴉は憎めない
私は朝の鴉を愛する。英吉利《いぎりす》風《ふう》のフロックの、青年紳士の散歩者のやうに、いか
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