小熊秀雄全集−1
短歌集
小熊秀雄
幻影の壺
けだものの子
産科院よるのさびしさ夕食の鈴のしづかに鳴りにけるかな
おぎや……たかくさびしく産科院けだものの子のうまれけるかな
けだものの子はかたくもろ手を胸にくみしつかりなにかにぎり居るかも
うすら毛のけだものの子は四つ足をふんばりにつつ呼吸づきにけり
けだものの子は昼としなればひそまりて小鼻かすかにうごめけるかも
おそるおそるけだものの子の心臓のあたりに指を触れにけるかな
けだものの子は瞼かすかにうごかしつ外面の草の戦《そよ》ぐきくかな
けだものの子は生れながらにものを食《お》す術《すべ》しりたればうらがなしかり
黒薔薇はなにか予言《かねごと》まむかいのけだものの子にいひにけるかな
けだものの子はとつぜんに手足ふり狂乱となり泣きにけるかな
けだものの子は現世いやとかぶりふり土ひた恋ひて泣きにけるかも
ひえびえの秋風ふけばけだものの子にも感づとふるひけるかな
入りつ日をけだものの子はあびしかばうぶ毛金毛となりにけるかも
ひそかにひそかにけだものの子のその親を柩《ひつぎ》のなかにいれにけるかな
ひそかにひそかにけだものの子のその親の柩は門をいでにけるかな
入りつ日のかがやく野辺のさいはてにあかき柩はかくれたるかな
河豚《ふぐ》の腹
ひろがれる靄うみにみち沖のへに鐘鼓ひまなくなりしきりなり
あまりにもいろ濃き空よ見つむれば紫紺《しこん》堕《お》つるとおもはるるかな
海ぎしに河豚の腹などたたきつつこどもごころとなりにけるかな
なぎさにいで貝のかけらを千万にくだけど遂にけむりとならず
童子らは青藻のかげの夜光珠《やこうしゆ》の粗玉《あらたま》などをさがすなりけり
鶺鴒《いしたたき》ひねもす岩に尾をたたき砂地《すなぢ》だんだんくれにけるかな
悲しき夢
支那人は黄なる歯をみせ鞭《むち》をあげさてこれよりと言ひいでしかな
ぬば玉の闇よりぱつとあらはれし青き男はわれなりしかな
いろ青き天鵞絨服《びろうどふく》のつめたさを素肌にきれば秋が身にしむ
ましろなる顔の瞼《まぶた》をくまどりて鏡にむかひ笑ふわれなり
窪みたるまなこしみじみ愛《いと》ほしと鏡にむかひ摩《さす》るわれなり
くるはしき踊りにつかれ天鵞絨《びろうど》のゆかに倒れてねむるわれなり
『現身《うつしみ》のうれしき糧は酒なり』とまなこにつげといふはわれなり
この床に踊りつかれてねいるごといのちをはれば満足ならむ
こもり居て親をおもへば金鼓《きんこ》うち踊るわれなり歌ふわれなり
聖人《ひぢり》のまね
日の落つる丘に手をくみ眼をつぶり聖人《ひぢり》のまねをなしにけるかな
まねなれど聖人《ひぢり》の真似《まね》のたうとけれ海にむかひておもふことなし
めをつぶるひぢりの腹にしんしんとさびしくひくく潮鳴りきこゆ
にせものの聖人は腹のすきければ聖人をやめてたちにけるかな
眼ひらけば入日は海にひろがりてあかくするどく眼に沁みしかな
にんげんのこころとなりてたちあがり着物の土を払ひけるかな
つぶる眼のまぶたあかるく入つ日は海にかがやきしづかなるかな
潜水夫《もぐり》
寒天をたたえしごとき重々し海のうねりに潜水夫《もぐり》あらはる
みな底のもぐりの男かなしけれ妻のポンプをたよるなりけり
築港《ちくこう》の真昼の砂にさかしまに潜水夫《もぐり》の服のほされたるかも
ぶくぶくと水面に泡《あわ》のたちければ潜水夫の死ぬとおもひけるかな
国境
山道に赤き苺《いちご》の雨にぬれいろあざやかにこぼれあるなり
たえがたきうらさびしさにゆきずりの野草にふれぬ露にぬれつつ
みかへればはるかわが村一望のうちにおさまり河遠白く
らんまんに盆花さける隣国に一歩ふみいれなみだながしぬ
雑詠
朝の湯の湯気のくもりに老人がしんじつひたり念仏もうす
土手にゆけば土手の臭《にほ》ひのかなしけれ萌えてまもなき青草の土手
ダッタンの海のくろきに白鳥のうかべば羽のそまるとおもふ
春の夜の窓の硝子に頬よせて海のあかりにみいるなりけり
ひつそりとあたりしづかに風凪ぎの海のなぎさに砂音きこゆ
船子どもは声をそろへてくらがりの沖に夜網をおこすなりけり
ぬば玉の闇にかがり火たく船のふなばら赤く海にうつれり
晩秋の街
苦心して男のはりし赤きビラいま風きたりはぎてゆけるかも
十字路にけふもかがまりくるい女《め》はごみ箱のかげあかきもの食《は》める
犬の顔まぢまぢみれば犬もまたまぢまぢわれのかほをみしかな
すたすたとまぢめの顔しくろき犬旅するごとく街あゆむかな
なかなかに朝靄はれず酒造場の大いなる桶の箍うつきこゆ
大道のせともの売は皿と皿すりてさびしき音たてしかな
しろ服のあまたのなかに冬服のひとりまじりてさびし夜の街
街をゆき女の肌にわがさ指ふれておもはずおどろきしかも
畠の恋
太陽にそむきてさきし向日葵《ひまわり》はその咎《とが》にして萎《しを》れたるかも
よくはずみ侏儒の手まりのごとくなり豆鞘わればころがりいづる
わかものの畠の恋は黍殻《きびがら》をたばかされなと風ふきしかな
黄金の果実
けだものの子は大人《をとな》となりぬ一本《いつぽん》も毛のなきことが悲しかりける
黄金《きん》の実をつまむてだてをけだものの大人がよりてかたるなりけり
いささかの黄金《きん》の木《こ》の実のいさかいにけだものは刀ぬきにけるかな
いささかの黄金の木の実のいさかいにけだもの一匹《いつぴき》斃れたるかな
つめどもつめどもけだものどもは黄金《きん》の実《み》を足ることしらずけふも摘みをり
うら悲しけだものどもは黄金《きん》の実《み》をひた恋ひしゆえ傷《きづ》つきにけり
うら悲しけだものどもは銀の実をひたこひにけり嘘いひにけり
うら悲しけだものどもは銅の実をひたこひにけり首くくりけり
友を焼く
うつむきてみなもの言はず火葬場のしじまに骨を拾ふなりけり
友の歯をひとつふたつとかぞへつつ白木の箸にひろふ火葬場
友焼きてかへる花野の細道に草鞋《わらんぢ》の紐とけにけるかな
杳かなる花野のもなかいつぽんのすぐたちの木に烏とまるも
火葬場は曼珠沙華《ぼんばな》の秀《ほ》にかくれたりはるかにしろきけむりたつ見ゆ
夕ざりて河のどよみを茄子の馬胡瓜の馬が流れたりける
十字路
朝の陽は障子《しようぢ》あかるくいちめんに照りかがやけばまなこくらみぬ
ひたすらに爆竹をうつなりわいをしてみたき日ぞ空をながむる
朝まだき靄にきこえてすがすがし法華《ほつけ》の太鼓しづかなるかも
にんげんにうまれしといふ悔恨をつくづくかんぢ涙ながしぬ
にんげんの子がうまれしと紅白《こうはく》のまんまろの餅《もち》おくり来しかな
朝の湯のくもりがらすに女湯のをんなのあたまうつりけるかな
からんからん茶椀をならしみつれどもさびしさ癒《いえ》ずひとり飯《いひ》食む
ひからびし手をもて母が炊ぎたる尊《たふ》とき飯《いひ》ぞしみじみと食す
一すぢのしろき道なりそのかみは君と手をとりすぎし道なり
路のべの赤き小石をてにとりて息ふきかけて見はみつれども
なにがなしに素足となりてわが街をあゆむこころのおきにけるかな
町角の湯屋にうどん華《げ》さきしてふ噂もいつかきえにけるかな
朝顔は咲きて萎《しぼ》みてくりかへしころりと鉢に散りにけるかな
さてこれよりいづこにゆかむ十字路に立ちてあたりを見まはせしかな
少年のこころとなりて石塊《いしころ》を路上ころころころがしてゆく
街なかにあたりうかがひ呼子笛ひとふきふけばこころおさまる
谿越えてあの山こえて帰るてふ飴屋おもへば笛きこえ来し
かつかつと足音たかく橋の上人形のごとうごく兵隊
つつましく日本《にほん》のをんな菊の花もちて街ゆくふさはしきかな
嘘つきのたくみの友とさ夜ふけに語《かた》りあひけりうそとしりつつ
子らがみな一列にならびつぐみたる口元みればお可笑かりける
鳥さしの児の帽子のひさしま日をうけしろく輝やきうごかざるかも
尾張屋爺 思ひ出
杣夫なる尾張屋爺はさむらいの成《な》れの果《は》てなり剣術を知る
新聞をまるめて爺と仕合しぬをりをり禿をたたくなりけり
杣夫なる尾張屋爺はさむらいの成れの果てなり忍術を知る
忍術をみせよと爺にせがみたり外面《とのも》はしきり吹雪するなり
眼をつぶり尊《たふ》とげのこといひたれど蟇《ひき》はもいでず鼠もいでず
酒のめば水遁火遁忍術をなすといひしがついにせぬなり
飯食みてをればとどろと裏山に爺が大樹を倒せしひびき
かんじき……を履きて爺は朝はれの雪の林にいりにけるかな
秋の船旅
船客に道化師まぢりほろほろと横笛なりぬ秋のふな旅
山遠き小能登呂《このとろ》の浜まひる日に青くかがやき草もゆるみゆ
踊る烏
なやましき夏の真昼のへんげものからす輪となり踊るなりけり
なやましき烏の踊りみぎり足いちぢるしくもあげにけるかな
ちよんちよんと二《ふた》足三《み》足かた足で歩みしろ眼をつかひけるかな
からす等のへんげの踊りみてあれば胸がくるしくなりにけるかな
恋の歌うたふ男のきまぐれを烏はかあとわらひけるかな
愛奴部落
のぞきたるアイヌの家にいたましく鮭《さけ》の半身《はんみ》のつるされしかな
和子《しやも》の子の愛奴《あいぬ》に悪口いひければ毒矢《ぶしや》木ひくぞとわらひけるかな
山焼けの遠火のけむりたなびきてかすみのごとくみゆるなりけり
草丘をのぼりつくればアイヌの実茶色つぶつぶ敷かれたるかも
大館町 思ひ出
秋田に住む叔母がましろきつやつやのかほなどおもふ雨のひるかな
通草とりの子ははろか山道種ふきてすぎるみゆかな頭をふりにつつ
通草とりの子にあけびをひとつくれと言ひくれざりしかもさびしかりける
色白き河原の石の反射などまなこを閉ぢておもふなりけり
河岸のうすくらがりに蝙蝠《こうもり》を追ひてこどもらいまだかへらず
縞蛭は日ぐれの沼にうごくなり吸血のすべしるがかなしき
夕暮れの沼のあさどのおぐらきに水しはつくり蛭うごくなり
馬小舎
馬小舎のうまがきり藁食す音のとどろひびきて頭にのぼるかも
床にゐて馬小舎の馬が屋《は》梁《り》を噛む癖を叱りてねいるなりけり
押切りをたくみに使ふ若者に指などきるなといひかけしかな
切り藁にほそり木まぢりゐるけらしぽきと音して手応へしかな
馬小舎の飼ばの桶に庭鳥が卵をひとつ産みてあるかも
大根畠
山蔭に薄陽をあびて大根をほればもろ手のつめたかりける
しんしんと地がなるごとし大根をほる手をとどめ土にかがみぬ
夕ざれば地の冷えまさりこんこんとつづけて咳のいでにけるかも
現世に大根が生きてゐることのお可笑かりけりうごかぬ大根
夕闇のなかにましろくつみあげし大根がみな土にきえゆく
月夜
あゆみつつ夜更の空をみあぐれば電信柱にかかる月かも
らんらんと尊とや月はまづし家の屋根いちめん照らすなりけり
さびしさ
そのかみの悪性《あくしよう》男なきてをり女供養《くよう》と泣きてをるなり
たえまなく胸の扉《とびら》をあかき衣《い》の侏儒《しゆじゆ》らけふしもたたくなりけり
八畳のそのまんなかにあかき林檎ひとつころがしみつめたるかも
わかき我なにのはずみかしはがれし悪魔の声しはつとおどろく
ひたすらにわが身いとしと銭湯《せんたう》に脚気《かつけ》の脛《はぎ》をさすりけるかな
かなしきはここの酒場のこのブランあまりに弱き味覚なるかも
むらさきの縁取《へりと》りコップたちのぼるココアの湯気のしろき夜かな
丘に立ちて
ひとり死ぬるさびしさなどをおもひつつ狭霧《さぎり》の丘にたちつくすなり
丘にたちしみじみ夕日あびにつつ満《み》ち足《た》らふまでなきにけるかな
なきなきていささかひもじくなりければ草の実つみて頬ばりしかな
荒磯
次へ
全3ページ中1ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
小熊 秀雄 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング