きかしたり、ベートーベンの交響楽を弾いてやつたりする、馬鹿気た教育法がある。
これを胎教とかいふさうだ。
神様の存在をも信じられないやうな俺が、どうしてこんな電信柱に説教をする様な愚にもつかない実験を信じることができ様か。
それまではてんで鼻汁《はな》もひつかけなかつた、この教育法を、その頃から妙に真理の様にも考へさせられだした。
――ずいぶん、お飯《まんま》を喰ふぢやないか、
彼女は楽隊にはやし立てられてゐるかの様に、調子に乗つて何杯も何杯も、お替りをして喰べた。
――でも赤ん坊と二人分喰べるんですもの。
と嬉しさうに答へた。
成程、彼女と胎児とは、同じ血脈に結びつけられ、同じ呼吸に生きてゐるものに相違ない、彼女が怒れば腹の子も怒り、悲しめば胎児もともに、悲しむものであるらしい。
そこで俺は彼女を、興奮させる様なことのない様に心掛た。台所の雑巾がけをしたり、水汲みをしたり惨めな下僕となつた。
決して彼女の機嫌を伺つたり、血を吐くと脅喝されたので、それを怖れたからではない、やがて出産するであらう『我等の仲間』のために敬意を表したのである。
或る日、まつ青な顔になつ
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