見つけて、妹のサラに話した。サラはファラデーに何と書いてあるのか見せて頂戴な[#「何と書いてあるのか見せて頂戴な」に傍点]と言った。これにはファラデー閉口した。結局それは見せないで、別に歌を作って、前の考は誤りなることを発見した[#「誤りなることを発見した」に傍点]からと言ってやった。これはその年(一八一九年)の十月十一日のことである。この頃からファラデーは、すっかりサラにまいってしまった。
 時に、手紙をやったが、それらのうちには中々名文のがある。翌年七月五日附けの一部を紹介すると、
「私が私の心を知っている位か、否な、それ以上にも、貴女は私の心を御存知でしょう。私が前に誤れる考を持っておったことも、今の考も、私の弱点も、私の自惚《うぬぼれ》も、つまり私のすべての心を貴女は御存知でしょう。貴女は私を誤れる道から正しい方へと導いて下さった。その位の御方であるから、誰なりと[#「誰なりと」に傍点]誤れる道に踏み入れる者のありもせば[#「ありもせば」に傍点]導き出さるる様にと御骨折りを[#「御骨折りを」に傍点]御願い致します。」
「幾度も私の思っている事を申し上げようと思いましたが、中々に
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