、二、三の友人(ことにキュービエー)と交わっただけで、一八一四年八月二十一日にパリで死んだ。
ルムフォード伯の功業は、ヴィーデンという大将とデビーとを見出した事であると謂われるが、ヤングもまたルムフォードに見出された一人である。
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サー・ハンフリー・デビーは一七七八年十二月十七日生れで、父は早く死んだが、非常に早熟で[#「非常に早熟で」に傍点]、文学にも科学にも秀いで[#「文学にも科学にも秀いで」に傍点]、十七歳の時には、氷の二片を合わせてこすると溶けるのを見て、「熱は物体にあらず」という説を発表した。その後、ある病院の管理をして、「笑気」のことを研究した。ルムフォード伯に招かれて、ロンドンに来たのは一八〇一年、二十三歳の時で、まだ山出しの蛮からであったが、根が才気のはじけた人間であるから、講演振りも直ちに上手になり、その講演には上流の人達が争うて聴きに来るようになり一千人にも上ることがあった。そんな訳で、当時の人々から大層崇拝されるようになった。電池の研究をしたり、電気分解によりポタシウムやソヂウムを発見した。三十四歳[#「三十四歳」
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