一、二人会葬したばかりであった」に傍点]。
墓標にも簡単に、
[#天から11字下げ]一七九一年九月二十二日生れ
[#天から2字下げ]ミケル・ファラデー
[#天から11字下げ]一八六七年八月二十五日死す
[#ファラデーの墓標の挿絵(fig46340_06.png)入る]
日輪が静に地平線より落ち行きて、始めて人の心に沈み行く日の光の名残が惜しまれる。せめて後の世に何なりと記念の物を残そうということが心に浮ぶ。
ファラデーが死んでから、記念のため化学会では、「ファラデー講師」なるものをつくり、パリにはファラデー町が出来、ロンドンにもファラデー学会が出来た。グラッドストーンは伝を書いた。チンダルも伝を書いた。またベンス・ジョンスは手紙を集めて出版し、その後シルベナス・トンプソンも伝を書いた。
五五 外見
ファラデーに、ほんとうによく似た写真や、肖像画は無いといわれている[#「無いといわれている」に傍点]。これは写真や画の出来《でき》が悪いという意味ではないので、ファラデーの顔の生き生きして、絶えず活動せるのを[#「活動せるのを」に傍点]表わし得ないというためなそうだ。
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