のする講演を聴きに行ったことはある。翌一八六三年にはロンドン大学の評議員をやめ[#「評議員をやめ」に傍点]同六四年には教会の長老をやめ[#「長老をやめ」に傍点]、六五年には王立協会の管理人もやめて[#「管理人もやめて」に傍点]、長らく棲んでいた部屋も返してしまい[#「部屋も返してしまい」に傍点]、実験室も片づけた[#「実験室も片づけた」に傍点]。この時七十四歳。後任にはチンダルがなった。もっともチンダルは既に一八五四年から物理学の教授にはなっておった。
それでも、まだ灯台等の調査は止めずにやっておったが、トリニテー・ハウスは商務省とも相談の上、この調査はやめても、年二百ポンドの俸給はそのままという希望で、サー・フレデリック・アローが使いにやって来た。アローは口を酸《すっぱ》くして、いろいろ説いたが、どうしてもファラデーに俸給を受け取らせることが出来なかった。ファラデーは片手にサー・アローの手を、片手にチンダルの手を取って、全部を[#「全部を」に傍点]チンダルに譲ることにした。
五四 終焉
ファラデーの心身は次第に衰弱して来た。若い時分から悪かった記憶は著しく悪るくなり、他の感覚もまた鈍って[#「感覚もまた鈍って」に傍点]来、一八六五年から六六年と段々にひどくなるばかりで、細君と姪のジェン・バーナードとが親切に介抱しておった。後には、自分で自由に動けないようになり、それに知覚も全く魯鈍になって耄碌し、何事をも言わず、何事にも注意しないで、ただ椅子によりかかっていた。西向きの窓の所で、ぼんやりと沈み行く夕日を眺めている[#「ぼんやりと沈み行く夕日を眺めている」に傍点]ことがよくあった。ある日、細君が空に美しい虹[#「美しい虹」に傍点]が見えると言ったら、その時ばかりは、残りの雨の降りかかるのもかまわず、窓から顔をさし出して、嬉しそうに虹を眺めながら、「神様は天に善行の証《あか》しを示した」といった。
終に一八六七年八月二十五日に、安楽椅子によりかかったまま、何の苦しみもなく眠るがごとくこの世を去った。遺志により、葬式は極めて簡素に行われ、また彼の属していた教会の習慣により、ごく静粛に、親族だけが集って、ハイゲートの墓地に葬った。丁度、夏の暑い盛りであったので、友人達もロンドン近くにいる者は少なく、ただグラハム教授外一、二人会葬したばかりであった[#「
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