ったが、土間の入口で大変に込み合い、大きな奴がバーナードを押しつけた。不正な事の少しも辛棒できないファラデーの事とて、とうとう喧嘩になりかけた。
この頃ファラデーの道楽[#「道楽」に傍点]は、自転車のようなベロシピードというものを造って、朝はやく郊外のハムステッド岡のあたりに出かけたり、夕方から横笛を吹いたり、歌を唄う仲間と一週に一回集ったりした。彼はバスを歌った。
二三 サンデマン宗
キリスト教の宗派はたくさんあるが、そのうちで最も世の中に知られない[#「知られない」に傍点]のはサンデマン宗であろう。
一七三〇年頃にスコットランドのプレスビテリアン教会の牧師にジョン・グラスという人があった。教会はキリストと使徒との教えのみにより支配さるべきもので、国教という様になりて国家と関係をつけるのは間違っている。吾等も新約聖書にあるだけ[#「あるだけ」に傍点]、すなわち初期のキリスト教徒の信じただけを信ずべきであると説いた。グラスと婿のサンデマンとがこの教旨を諸方に広めたので、この宗をグラサイトとも、またサンデマニアンともいう。
大体の教義については、清教徒に近く、礼拝の形式においてはプレスビテリアンに似ている。しかしこの宗の信者は他の教会と全く不関焉《かんせずえん》で、他宗の信者を改宗させるために伝道するというようなこともしない。それゆえ余り盛んにもならないでしまった。
ファラデーの父のジェームスがこの教会に属しており、母も(教会には入らなかったが)礼拝に行った関係上、まだ小児の時から教会にも行き、その影響を受けた[#「その影響を受けた」に傍点]ことは一と通りではなかった。
二四 サラ・バーナード嬢
この教会の長老にバーナードという人があって、銀細工師で、ペーターノスター・ローという所に住んでおった。その次男のエドワードとファラデーは親しかったので、その家に行ったりした。エドワードの弟にジョージというのがあり、後に水彩画家になった人だが、この外に三人の妹があった。長女はもはやかたづいてライド夫人となり、次女[#「次女」に傍点]はサラといいて、妙齢二十一才、三女のジェンはまだ幼い子であった。ファラデーは前から手帖に色々の事を書いておったが、その中に「愛」を罵《ののし》った短い歌の句などもたくさんあった。
ところが、これをエドワードが
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