が、一八一六年には礦山で実地に用いられるようになった。しかしこの安全灯とても、絶対に[#「絶対に」に傍点]安全という訳には行かない。議会の委員が安全灯を試験した際にも、ファラデーはこの由を明言した。ファラデーは先生のデビーにはどこまでも忠実であったが、しかし不正を言うことは出来ない人であった。
ファラデーはデビーの実験を助ける外に、デビーの書いた物をも清書[#「清書」に傍点]した。デビーは乱雑に字を書くし、順序等には少しも構わないし、原稿も片っ端しから破ってしまう。それでファラデーは強《し》いて頼んでその原稿を残して置いてもらい、あとで二冊の本に製本した。今日に保存[#「保存」に傍点]されている。
二一 自分の研究
これまでのファラデーは智識を吸収する一方であったが、この頃からボツボツと研究を発表[#「発表」に傍点]し出した。初めて講演[#「講演」に傍点]をしたのは一八一六年の一月十七日で、市《シティ》科学会でやり、また初めて自分の研究した論文[#「論文」に傍点]を出したのもこの年で、「科学四季雑誌」(Quarterly Journal of Science)に発表した。講演は物質に関するもので、論文は生石灰の分析に就いてである。いずれもそう価値のあるものではない。
しかし、これは特筆[#「特筆」に傍点]に値いするものというて宜かろう。ささやかなる小川もやがては洋々たる大河の源であると思えば、旅行者の一顧に値いするのと同じく、ファラデーは講演者として古今に比いなき名人と謂《い》われ、また研究者としては幾世紀の科学者中ことに群を抜いた大発見をなした偉人と称《たた》えられるようになったが、そのそもそもの初めをたずねれば[#「初めをたずねれば」に傍点]、実にこの講演と研究[#「講演と研究」に傍点]とを発端とするからである。
かくファラデー自身が研究を始めることになって見ると、デビーの為めに手伝いする[#「手伝いする」に傍点]部分と、自分自身のために研究する[#「自身のために研究する」に傍点]部分との区別がつきにくくなり、これがため後には行き違いを生じたり、妬みを受けたりした。しかし初めの間はまだ左様なこともなく、一八一八年頃デビーが再び大陸に旅行しておった留守にも、ファラデーは実験室で種々の研究をし、ウエストの新金属というたシリウムを分析して、鉄、ニ
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