、凄《すご》いものである。相貌《さうぼう》なども人間《にんげん》と大差《たいさ》はない。
第《だい》三の化物《ばけもの》は本體《ほんたい》が動物《どうぶつ》で、其《その》目的《もくてき》によつて惡戯《あくぎ》の爲《ため》と、復仇《ふくしう》の爲《ため》とに分《わか》つ、惡戯《あくぎ》の方《はう》は如何《いか》にも無邪氣《むじやき》で、狐《きつね》、狸《たぬき》の惡戯《あくぎ》は何時《いつ》でも人《ひと》の笑《わら》ひの種《たね》となり、如何《いか》にも陽氣《やうき》で滑稽的《こつけいてき》である。大入道《おほにふだう》、一つ目《め》小僧《こぞう》などはそれである。併《しか》し復仇《ふくきう》の方《はう》は鍋島《なべしま》の猫騷動《ねこさうどう》のやうに隨分《ずゐぶん》しつこい。
第《だい》四の精靈《せいれう》は、本體《ほんたい》が自然物《しぜんぶつ》である。此《この》精靈《せいれう》の最《もつと》も神聖《しんせい》なるものは、第《だい》一の神佛《しんぶつ》の部《ぶ》に入《い》る。例《たと》へば日本國土《にほんこくど》の魂《たましひ》は大國魂命《おほくにたまのみこと》となつて神《かみ》になつてゐる如《ごと》きである。物《もの》に魂《たましひ》があるとの想像《さうざう》は昔《むかし》からあるので、大《だい》は山岳《さんがく》河海《かかい》より、小《せう》は一|本《ぽん》の草《くさ》、一|朶《だ》の花《はな》にも皆《みな》魂《たましひ》ありと想像《さう/″\》した。即《すなは》ち「墨染櫻《すみぞめのさくら》」の櫻《さくら》「三十三|間堂《げんだう》」の柳《やなぎ》、など其《その》例《れい》で、此等《これら》は少《すこ》しも怖《こわ》くなく、極《きは》めて優美《いうび》なものである。
第《だい》五の怪動物《くわいどうぶつ》は、人間《にんげん》の想像《さうざう》で捏造《ねつざう》したもので、日本《にほん》の鵺《ぬえ》、希臘《ぎりしや》のキミーラ及《および》グリフイン等《とう》之《これ》に屬《ぞく》する。龍《りう》麒麟等《きりんとう》も此中《このなか》に入《い》るものと思《おも》ふ。天狗《てんぐ》は印度《いんど》では鳥《とり》としてあるから、矢張《やはり》此中《このうち》に入《い》る。此《この》第《だい》五に屬《ぞく》するものは概《がい》して面白《おもしろ》いものと言《い》ふことが出來《でき》る。
以上《いじやう》を概括《がいくわつ》して其《その》特質《とくしつ》を擧《あ》げると、神佛《しんぶつ》は尊《たうと》いもの、幽靈《ゆうれい》は凄《すご》いもの、化物《ばけもの》は可笑《おか》しなもの、精靈《せいれう》は寧《むし》ろ美《うつく》しいもの、怪動物《くわいどうぶつ》は面白《おもしろ》いものと言《い》ひ得《う》る。
四 化物の表現
此等《これら》樣々《さま/″\》の化物思想《ばけものしさう》を具體化《ぐたいくわ》するのにどういふ方法《はうはふ》を以《もつ》てして居《ゐ》るかといふに、時《とき》により、國《くに》によつて各々《おの/\》異《こと》なつてゐて、一|概《がい》に斷定《だんてい》する事《こと》は出來《でき》ない。例《たと》へば天狗《てんぐ》にしても、印度《いんど》、支那《しな》、日本《にほん》皆《みな》其《その》現《あら》はし方《かた》が異《こと》なつて居《ゐ》る。龍《りう》なども、西洋《せいやう》のドラゴンと、印度《いんど》のナーガーと、支那《しな》の龍《りう》とは非常《ひぜう》に現《あらは》し方《かた》が違《ちが》ふ。併《しか》し凡《すべ》てに共通《けうつう》した手法《しゆはふ》の方針《はうしん》は、由來《ゆらい》化物《ばけもの》の形態《けいたい》には何等《なんら》か不自然《ふしぜん》な箇所《かしよ》がある。それを藝術《げいじゆつ》の方《ちから》で自然《しぜん》に化《くわ》さうとするのが大體《だい/\》の方針《はうしん》らしい。例《たと》へば六|臂《ぴ》の觀音《くわんのん》は元々《もと/\》大化物《おほばけもの》である、併《しか》し其《その》澤山《たくさん》の手《て》の出《だ》し方《かた》の工夫《くふう》によつて、其《その》手《て》の工合《ぐあひ》が可笑《おか》しくなく、却《かへ》つて尊《たうと》く見《み》える。決《けつ》して滑稽《こつけい》に見《み》えるやうな下手《へた》なことはしない。此處《こゝ》に藝術《げいじゆつ》の偉大《ゐだい》な力《ちから》がある。
此《この》偉大《ゐだい》な力《ちから》を分解《ぶんかい》して見《み》ると。一|方《ぽう》には非常《ひぜう》な誇張《こてう》と、一|方《ぽう》には非常《ひぜう》な省略《しやうりやく》がある。で、これより各論《かくろん》に入《い》つて化物《ばけもの》の表現《へうげん》即《すなは》ち形式《けいしき》を論《ろん》ずる順序《じゆんじよ》であるか、今《いま》は其《その》暇《ひま》がない。若《も》し化物學《ばけものがく》といふ學問《がくもん》がありとすれば、今《いま》まで述《の》べた事《こと》は、其《その》序論《じよろん》と見《み》るべきものであつて、茲《こゝ》には只《たゞ》序論《じよろん》だけを述《の》べた事《こと》になるのである。
要《えう》するに、化物《ばけもの》の形式《けいしき》は西洋《せいやう》は一|體《たい》に幼稚《えうち》である。希臘《ぎりしや》や埃及《えじぷと》は多《おほ》く人間《にんげん》と動物《どうぶつ》の繼合《つぎあは》せをやつて居《ゐ》る事《こと》は前《まへ》に述《の》べたが、それでは形《かたち》は巧《たくみ》に出來《でき》ても所謂《いはゆる》完全《くわんぜん》な化物《ばけもの》とは云《い》へない。ローマネスク、ゴシツク時代《じだい》になると、餘程《よほど》進歩《しんぽ》して一の纏《まと》まつたものが出來《でき》て來《き》た。例《たと》へば巴里《ぱり》のノートルダムの寺塔《じたふ》の有名《いうめい》な怪物《くわいぶつ》は繼合物《つぎあはせもの》ではなくて立派《りつぱ》に纏《まと》まつた創作《さうさく》になつて居《ゐ》る。ルネツサンス以後《いご》は論《ろん》ずるに足《た》らない。然《しか》るに東洋方面《とうやうはうめん》、特《とく》に印度《いんど》などは凡《すべ》てが渾然《こんぜん》たる立派《りつぱ》な創作《さうさく》である。日本《にほん》では餘《あま》り發達《はつたつ》して居《ゐ》なかつたが、今後《こんご》發達《はつたつ》させようと思《おも》へば餘地《よち》は充分《じうぶん》ある。日本《にほん》は今《いま》藝術上《げいじゆつじやう》の革命期《かくめいき》に際《さい》して、思想界《しさうかい》が非常《ひぜう》に興奮《こうふん》して居《ゐ》る。古今東西《ここんとうざい》の思想《しさう》を綜合《そうがふ》して何物《なにもの》か新《あたら》しい物《もの》を作《つく》らうとして居《ゐ》る。此《この》機會《きくわい》に際《さい》して化物《ばけもの》の研究《けんきう》を起《おこ》し、化物學《ばけものがく》といふ一|科《くわ》の學問《がくもん》を作《つく》り出《だ》したならば、定《さだ》めし面白《おもしろ》からうと思《おも》ふのである。昔《むかし》の傳説《でんせつ》、樣式《やうしき》を離《はな》れた新化物《しんばけもの》の研究《けんきう》を試《こゝろ》みる餘地《よち》は屹度《きつと》あるに相違《さうゐ》ない。(完)
[#地から2字上げ](大正六年「日本美術」)
底本:「木片集」萬里閣書房
1928(昭和3)年5月28日発行
1928(昭和3)年6月10日4版
初出:「日本美術」
1917(大正6)年
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
入力:鈴木厚司
校正:しだひろし
2007年11月22日作成
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