ん》に近江國《あふみのくに》が裂《さ》けて琵琶湖《びはこ》が出來《でき》、同時《どうじ》に富士山《ふじさん》が噴出《ふんしゆつ》して駿《すん》、甲《かふ》、豆《づ》、相《さう》の地《ち》がおびたゞしく震動《しんどう》したといふのであるが、その無稽《むけい》であることはいふまでもない。
 つぎに允恭天皇《いんけうてんのう》の五|年《ねん》丙辰《ひのえたつ》七|月《ぐわつ》廿四|日《か》地震《ぢしん》、宮殿《きうでん》舍屋《しやをく》を破《やぶ》るとある。
 次《つ》ぎに推古天皇《すゐこてんのう》の七|年《ねん》乙未《きのとひつじ》四|月《ぐわつ》廿七|日《にち》に大地震《おほぢしん》があつた。
 日本書紀《にほんしよき》[#「日本書紀《にほんしよき》」は底本では「日本書記《にほんしよき》」]に七年夏四月乙未朔辛酉、地動、舍屋悉破、則令四方俾祭地震神とあるが、地震神《ぢしんかみ》といふ特殊《とくしゆ》の神《かみ》は知《し》られてゐない。
 要《えう》するに、このごろに至《いた》つて地震《ぢしん》の恐《おそ》ろしさが漸《やうや》く分《わ》かつたので、神《かみ》を祭《まつ》つてその怒《いか》り
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