たのである。
 この目的《もくてき》のためには、賢實《けんじつ》なる[#「賢實《けんじつ》なる」はママ]石造《せきざう》または甎造《せんざう》の恒久的宮殿《こうきうてききうでん》を造營《ざうえい》する事《こと》は都合《つがふ》が惡《わる》いのである。
 次《つ》ぎに持統《ぢとう》、文武《もんぶ》兩帝《りやうてい》は藤原宮《ふじはらぐう》に都《みやこ》したまひ、元明天皇《げんめうてんのう》から光仁天皇《くわうにんてんのう》まで七|代《だい》は奈良《なら》に都《みやこ》したまひ、桓武天皇以來《かんむてんのういらい》孝明天皇《かうめいてんのう》まで七十一|代《だい》は京都《けうと》に都《みやこ》したまひたるにて、漸次《ぜんじ》に帝都《ていと》が恒久的《こうきうてき》となり、これに從《したが》つて都市《とし》が漸次《ぜんじ》に整備《せいび》し來《き》たつたのである。
 一|般《ぱん》民家《みんか》もまたこれに應《おう》じて一|代《だい》主義《しゆぎ》から漸次《ぜんじ》に永代主義《えいだいしゆぎ》に進《すゝ》んだ。
 しかしその材料《ざいれう》構造《こうざう》は依然《いぜん》として舊來《きうらい
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