れを聞《き》いて大《おほ》いに感服《かんふく》したもので、識見《しきけん》高邁《かうまい》と稱《せう》せられた故《こ》岡倉《をかくら》覺《かく》三|氏《し》の如《ごと》きも、この説《せつ》を敷衍《ふえん》して日本美術史《にほんびじゆつし》の劈頭《へきとう》にこれを高唱《かうしやう》したものであるが今日《こんにち》においても、なほこの説《せつ》を信《しん》ずる人《ひと》が少《すくな》くないかと思《おも》ふ。
 少《すくな》くとも日本建築《にほんけんちく》は古來《こらい》地震《ぢしん》を考慮《かうりよ》の中《なか》へ加《くは》へ、材料《ざいれう》構造《こうさう》に工風《くふう》を凝《こ》らし、遂《つひ》に特殊《とくしゆ》の耐震的樣式手法《たいしんてきやうしきしゆはふ》を大成《たいせい》したと推測《すゐそく》する人《ひと》は少《すくな》くないやうである。
 予《よ》はこれに對《たい》して全《まつた》く反對《はんたい》の意見《いけん》をもつてゐる。今《いま》試《こゝろ》みにこれを述《の》べて世《よ》の批評《ひへう》を乞《こ》ひたいと思《おも》ふ
         *     *     *  
前へ 次へ
全21ページ中2ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
伊東 忠太 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング