れて、しかも純木造《じゆんもくざう》に改竄《かいざん》されたのは、やはり材料《ざいれう》と國民性《こくみんせい》とのためで地震《ぢしん》を考慮《かうりよ》したためではない。
 爾來《じらい》日本建築《にほんけんちく》は漸次《ぜんじ》に進歩《しんぽ》して堅牢《けんらう》精巧《せいかう》なものを生《しやう》ずるに至《いた》つたが、これは高級建築《かうきふけんちく》の必然的條件《ひつぜんてきでうけん》として現《あらは》れたので、地震《ぢしん》を考慮《かうりよ》したためではない。
 日本《にほん》に往時《わうじ》高層建築《かうそうけんちく》はおほくなかつた。たゞ塔《たふ》には十三|重《ぢう》まであり、城堡《ぜうほう》には七|重《ぢう》の天守閣《てんしゆかく》まであり、宮室《きうしつ》には三|層閣《さうかく》の例《れい》があるが、一|般《ぱん》には單層《たんそう》を標準《へうじゆん》とする。
 これは多層建築《たそうけんちく》の必要《ひつえう》を見《み》なかつたためで、地震《ぢしん》を考慮《かうりよ》したためではない。
 地震《ぢしん》を考慮《かうりよ》するやうになつたのは、各個人《かくこじん》が眞劍《しんけん》に生命《せいめい》財産《ざいさん》を尊重《そんてう》するやうになり、都市《とし》が發達《はつたつ》し科學思想《くわがくしさう》が普及《ふきふ》してからのことで、近《ちか》く三百|年來《ねんらい》のことと思《おも》はれる。
 今《いま》や社會《しやくわい》は一|回轉《くわいてん》した。各個人《かくこじん》は極端《きよくたん》に生命《せいめい》を重《おも》んじ財産《ざいさん》を尊《たつと》ぶ、都市《とし》は十|分《ぶん》に發達《はつたつ》して、魁偉《くわいゐ》なる建築《けんちく》が公衆《こうしゆ》を威嚇《ゐかく》する。科學《くわがく》は日《ひ》に月《つき》に進歩《しんぽ》する。
 國民《こくみん》はこゝにおいてか眞劍《しんけん》に耐震的建築《たいしんてきけんちく》の大成《たいせい》を絶叫《ぜつけう》しつゝあるのである。(完)
[#地から2字上げ](大正十三年四月「東京日日新聞」)



底本:「木片集」萬里閣書房
   1928(昭和3)年5月28日発行
   1928(昭和3)年6月10日4版
初出:「東京日日新聞」
   1924(大正13)年4月
入力:鈴木厚司

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