のではあるが‥‥。
また有名《いうめい》なる九|州《しう》の有明灣《ありあけわん》を理由《りいう》なしに改竄《かいざん》して島原灣《しまはらわん》などとゝなへてゐるものもある。
三 外語濫用からパパ樣ママ樣
以上《いじやう》日本《にほん》の固有名《こいうめい》、殊《こと》に地名《ちめい》について、その理由《りいう》なく改惡《かいあく》されることの非《ひ》なるを述《の》べたが、ここに更《さら》に寒心《かんしん》すべきは、吾人《ごじん》の日用語《にちようご》が、適當《てきたう》の理由《りいう》なくして漫然《まんぜん》歐米化《おうべいくわ》されつゝあるの事實《じじつ》である。
これは吾人《ごじん》が日々《ひゞ》の會話《くわいわ》や新聞《しんぶん》などにも無數《むすう》に發見《はつけん》するが、例《たと》へば、近《ちか》ごろ何々日[#「何々日」に丸傍点]といふ代《か》はりに何々デー[#「何々デー」に丸傍点]といふ惡習《あくしふ》が一|部《ぶ》に行《おこな》はれてゐる。
わざ/\デー[#「デー」に丸傍点]といはずとも、日[#「日」に丸傍点]といふ美《うつく》しい簡單《かんたん》な古來《こらい》の和語《わご》があるのである。
また例《たと》へば、父母《ふぼ》はとと樣《さま》、はは樣《さま》と呼《よ》んで少《すこ》しも差《さ》し支《つか》へなきのみならず、却《かへつ》て恩愛《おんあい》の情《ぜう》が籠《こも》るのに、何《なに》を苦《くるし》んでかパパ樣《さま》、ママ樣《さま》と、歐米《おうべい》に模倣《もはう》させてゐるものが往々《わう/\》ある。
外國語《ぐわいこくご》を譯《やく》して日本語《にほんご》とするのは勿論《もちろん》結構《けつこう》であるが、その譯《やく》が適當《てきたう》でなかつたり、拙劣《せつれつ》であつたり不都合《ふつがふ》なものが隨分《ずゐぶん》多《おほ》い、新《あら》たに日本語《にほんご》を作《つく》るのであるから、これは充分《じうぶん》に考究《かうきう》してもらひたいものである。
劣惡《れつあく》なる新日本語《しんにほんご》の一|例《れい》に活動寫眞[#「活動寫眞」に丸傍点]といふのがある。
これはキネマトグラフの譯《やく》であらうが、何《なん》といふ惡譯《あくやく》であらう。支那《しな》はさすがに文字《もじ》の國《くに》で
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