つと》もこれに近《ちか》い音《おん》を有《いう》する鳳[#「鳳」に丸傍点](フング)至[#「至」に丸傍点](シ)の二|字《じ》によつて示《しめ》されたのが、今《いま》は「ホーシ」と讀《よ》む者《もの》がある。
 その他《た》伊賀《いが》のアベ(阿拜《あはい》)は「アハイ」となり信濃《しなの》のツカマ(筑摩)は「チクマ」となつたやうな例《れい》はなほ若干《じやくかん》ある。
 この筆法《ひつぱふ》で行《ゆ》けば、武藏《むさし》は「ブゾー」、相模《さがみ》は「ソーボ」と改稱《かいせう》されねばならぬ筈《はず》である。
 尤《もつと》も、古《いにしへ》の和名《わめい》に漢字《かんじ》を充當《じうたう》したのが、漢音《かんおん》の讀《よ》み方《かた》の變化《へんくわ》に伴《とも》なうて、和名《わめい》が改變《かいへん》せられた例《れい》は、古代《こだい》から澤山《たくさん》ある。
 例《たと》へば、平安京《へいあんけう》の大内裡《だいないり》の十二|門《もん》の名《な》の如《ごと》きで、その二三を擧《あ》ぐればミブ門《もん》、ヤマ門《もん》、タケ門《もん》は、美福門《みぶもん》、陽明門《やまもん》、待賢門《たけもん》と書《か》かれて、つひにビフク門《もん》、ヨーメイ門《もん》、タイケン門《もん》となつたやうなものである。
 和名《わめい》に漢字《かんじ》の和訓《わくん》を充當《じうたう》したものが、理由《りいう》なく誤訓《ごくん》された惡例《あくれい》も可《か》なりある。
 例《たと》へば、羽前《うぜん》の「オイダミ」に置賜[#「置賜」に丸傍点]の文字《もんじ》を充當《じうたう》したのが、今《いま》は「オキタマ」と誤訓《ごくん》されてゐる。
 この外《ほか》、古《いにしへ》の地名《ちめい》を、理由《りいう》なく改廢《かいはい》した惡例《あくれい》も澤山《たくさん》ある。
 例《たと》へば、淡路《あはぢ》と和泉《いづみ》の間《あひだ》の海《うみ》は、古來《こらい》茅渟《ちぬ》の海《うみ》と稱《せう》し來《き》たつたのを、今日《こんにち》はこの名稱《めいせう》を呼《よ》ばないで和泉洋《いづみなだ》または大阪灣《おほさかわん》と稱《せう》してゐる。
 尤《もつと》も「チヌノウミ」は元來《ぐわんらい》和泉《いづみ》の南部《なんぶ》のチヌといふ所《ところ》の沖《おき》を稱《せう》した
前へ 次へ
全8ページ中4ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
伊東 忠太 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング