「フオルモサ」、樺太《かはふと》を「サガレン」、朝鮮《てうせん》を「コレア」旅順《りよじゆん》を「ボート・アーサー」、京城《けいぜう》を「シウル」新高山《にひたかやま》を「マウント・モリソン」などといふ者《もの》があるのは不都合《ふつがふ》である。
露國《ろこく》でさへ、曾《かつ》てその首府《しゆふ》のペテルスブルグは外國語《ぐわいこくご》であるとて、これを自國語《じこくご》のペテログラードに改名《かいめい》したではないか。
二 母語の輕侮は國民的自殺
日本《にほん》固有《こいう》の地名《ちめい》を外國《ぐわいこく》になぞらへて呼《よ》ぶことも國辱《こくじよく》である。
例《たと》へば、曾《かつ》て日本《にほん》を「東洋《とうやう》の英國《えいこく》」などとほこり顏《がほ》にとなへたことがある。飛騨《ひだ》と信濃《しなの》の境《さかひ》を走《はし》る峻嶺《しゆんれい》を「日本《にほん》アルプス」などと得意顏《とくいがほ》に唱《とな》へ、甚《はなは》だしきは木曾川《きそがは》を「日本《にほん》ライン」といひ、更《さら》に甚《はなは》だしきは、その或《ある》地點《ちてん》を「日本《にほん》ローレライ」などといつたものがある。
この筆法《ひつぱふ》で行《ゆ》けば、富士山《ふじさん》を「日本《にほん》チンボラソ」と呼《よ》び、隅田川《すみだがは》を「日本《にほん》テムズ」とでもいはねばなるまい。
日本《にほん》古來《こらい》の地名《ちめい》を、郡町村等《ぐんてうそんとう》の改廢《かいはい》と共《とも》に變更《へんかう》することは、或《ある》場合《ばあひ》にはやむを得《え》ないが、古《いにしへ》の地名《ちめい》に古《いにしへ》の音便《おんびん》によつて當《あ》て篏《は》められた漢字《かんじ》を妄《みだ》りに今《いま》の音《おん》に改讀《かいどく》せしめ、その結果《けつくわ》地名《ちめい》の改稱《かいせう》となるが如《ごと》きは甚《はなは》だ不用意《ふようい》なことである。
例《たと》へば山城《やましろ》の「サガラ」は最《もつと》もこれに近《ちか》い音《おん》を有《いう》する相[#「相」に丸傍点](サング)樂[#「樂」に丸傍点](ラー)の二|字《じ》によつてあらはされたのが、今《いま》は「ソーラク」と讀《よ》ませてをり、能登《のと》の「ワゲシ」は最《も
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