《げんこん》日本《にほん》では、歐文《おうぶん》で通信《つうしん》や著作《ちよさく》や、その他《た》各種《かくしゆ》の文《ぶん》を書《か》く場合《ばあひ》に、その署名《しよめい》に歐米風《おうべいふう》にローマ字《じ》で名《な》を先《さき》に姓《せい》を後《あと》に書《か》くことにしてゐるが、これは由々《ゆゝ》しい誤謬《ごべう》である。小《ちひ》さい問題《もんだい》のやうで實《じつ》は重大《ぢうだい》なる問題《もんだい》である。
わが輩《はい》の名《な》は伊東忠太《いとうちうた》であつて、忠太伊東《ちうたいとう》ではない。苗字《めうじ》と名《な》とを連接《れんせつ》した伊東忠太《いとうちうた》といふ一つの固有名《こいうめい》を二つに切斷《せつだん》して、これを逆列《ぎやくれつ》するといふ無法《むはふ》なことはない筈《はず》である。
個人《こじん》の固有名《こゆうめい》は神聖《しんせい》なもので、それ/″\深《ふか》い因縁《いんねん》を有《ゆう》する。みだりにこれをいぢくり廻《まは》すべきものでない。
然《しか》るに今日《こんにち》一|般《ぱん》にこの轉倒《てんたふ》逆列《ぎやくれつ》を用《もち》ゐて怪《あや》しまぬのは、畢竟《ひつきやう》歐米文明《おうべいぶんめい》渡來《とらい》の際《さい》、何事《なにごと》も歐米《おうべい》の風習《ふうしう》に模倣《もほう》することを理想《りさう》とした時代《じだい》に、何人《なにびと》かゞ斯《か》かる惡例《あくれい》を作《つく》つたのが遂《つひ》に一つの慣例《くわんれい》となつたのであらう。
今更《いまさら》これを改《あらた》めて苗字《めうじ》を先《さき》にし名《な》を後《のち》にするにも及《およ》ばない。餘計《よけい》な事《こと》であるといふ人《ひと》もあるが、わが輩《はい》はさうは思《おも》はない。過《あやま》ちて改《あらた》むるに憚《はゞか》るなかれとは先哲《せんてつ》の名訓《めいくん》である。
况《いは》んや若《も》しも歐米流《おうべいりう》に姓名《せいめい》を轉倒《てんたふ》するときは、こゝに覿面《てきめん》に起《おこ》る難問《なんもん》がある。それは過去《くわこ》の歴史的人物《れきしてきじんぶつ》を呼《よ》ぶ時《とき》に如何《いか》にするかといふ事《こと》である。
徳川家康《とくがはいへやす》と書《か》かずして家康徳川《いへやすとくがは》といい、楠正成《くすのきまさしげ》と書《か》かずして正成楠《まさしげくすのき》といひ、紀貫之《きのつらゆき》と書《か》かずして貫之紀《つらゆきき》といふべきか。これは餘程《よほど》變《へん》なものであらう。
過去《くわこ》の人《ひと》は姓名《せいめい》を順位《じゆんゐ》にならべ、現在《げんざい》の人《ひと》は逆轉《ぎやくてん》してならべるといふが如《ごと》きは勿論《もちろん》不合理《ふがふり》であるばかりでなく、實際《じつさい》においてその取扱《とりあつか》ひ方《かた》に窮《きう》することになる。
この點《てん》において支那《しな》はさすがに徹底《てつてい》してゐる。如何《いか》なる場合《ばあひ》にも姓名《せいめい》を轉倒《てんたう》するやうな愚《ぐ》を演《えん》じない。
張作霖《てうさくりん》は如何《いか》なる場合《ばあひ》にも作霖張《さくりんてう》とは名乘《なの》るまい。李鴻章《りこうせう》は世界《せかい》の何國《なにぐに》[#ルビの「なにぐに」は底本では「なにぐは」]の人《ひと》にも鴻章李《こうせうり》と呼《よ》ばれ、または書《か》かれたことがない。
世界《せかい》の何國《なにぐに》の人《ひと》も支那《しな》では姓《せい》を先《さき》にし、名《な》を後《あと》にすることを知《し》つてをり、支那《しな》の風習《ふうしふ》に從《したが》つてゐる。世界《せかい》の何國《なにぐに》の人《ひと》も日本《にほん》では姓《せい》を先《さき》にし、名《な》を後《あと》にすることを知《し》つてゐる筈《はず》であるが、日本人《にほんじん》が率先《そつせん》して自《みづか》ら姓名《せいめい》を轉倒《てんたふ》するから、外人《ぐわいじん》もこれに從《したが》ふのである。
三 彼我互に慣習を尊重せよ
或人《あるひと》は、日本人《にほんじん》が自《みづか》ら姓名《せいめい》を轉倒《てんたふ》して書《か》く事《こと》は國際的《こくさいてき》に有意義《ゆういぎ》であり、歐米人《おうべいじん》のために便宜《べんぎ》多《おほ》きのみならず、吾人《ごじん》日本人《にほんじん》に取《と》つても都合《つがふ》がよいといふが、自分《じぶん》はさう思《おも》はぬ。
結局《けつきよく》無識《むしき》の歐米人《おうべいじん》をして、日本《にほん》でも
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