的風波《がくじゆつてきふうは》がなければならぬ、然《しか》らざれば沈滯《ちんたい》の結果《けつくわ》腐敗《ぶはい》するのである。偶《たま》には激浪《げきらう》怒濤《どたう》もあつて欲《ほ》しい、惡風《あくふう》暴雨《ぼうう》もあつて欲《ほ》しい、と云《い》つて我輩《わがはい》は決《けつ》して亂《らん》を好《この》むのではない、只《た》だ空氣《くうき》が五|日《か》の風《かぜ》に由《よつ》て掃除《さうぢ》され、十|日《か》の雨《あめ》に由《よつ》て淨《きよ》められんことを希《こひねが》ふのである。世《よ》の建築家《けんちくか》は勿論《もちろん》、一|般《ぱん》人士《じんし》が絶《た》へず建築界《けんちくかい》に問題《もんだい》を提出《ていしゆつ》して論議《ろんぎ》を鬪《たゝか》はすことは極《きわ》めて必要《ひつえう》なことである。假令《たとひ》その論議《ろんぎ》が多少《たせう》常軌《じやうき》を逸《いつ》しても夫《それ》は問題《もんだい》でない。これと同時《どうじ》にその論議《ろんぎ》を具體化《ぐたいくわ》した建築物《けんちくぶつ》の實現《じつげん》が更《さら》に望《のぞ》ましいことであ
前へ 次へ
全11ページ中9ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
伊東 忠太 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング