事へることも出來ないのであると、即ち伴生の結果が一變して唯一の手段と考へられるやうになり、苦行によつて初めて古來の大仙と同じく神と一體になつて神變不可思議の力を得ることが出來るのであると信ずるに至つたのである、序に言ひますが、日本でもお寺のことをアーランニヤ叢林と云ひ、又お寺には平常何々山といふ山號が附いて居るが、元來は山林であつたのである――叡山の如きは文字的に既に叢林であるが――昔時印度人が俗の生活を了つて修業する時は乃ち山へ這入り、人の容易に往かぬやうな靜かな所を選んで此に住して居つたのである、夫から佛教にも傳はつて僧侶の修業し居住する塲所を叢林といひ、又何々山と云ふやうになつたので、此は元來バラモンの遺習である、現に今でも暹羅では上國王より下庶民に至るまで一度はお寺に這入つて僧侶の生活をしなければならぬことになつて居る、是もバラモンが總て一定の時期に至れば叢林の生活をしなければならぬと云ふのと同じ譯である、又日本でも色々の苦行をなすものが今でも隨分澤山にある、例へば千葉の成田の不動の如きに於ては、印度に於けると同じく斷食などが盛に行はれて居るのであります、佛教に此の苦行の[#「苦行の」は底本では「若行の」]法が傳はつて居るやうに、耶蘇教にも此思想が這入込み、カトリツクの方では好んで苦行をなす、彼等も矢張叢林の生活を送り、山へ這入つて饑渇と戰ひ、俗心に克ち、見苦しい着物を着て、一生懸命にバイブルを擴げて研究して居つた、テレザーと云ふ人はカトリツクにおきましては聖人と稱せられた人であるが、此の人は好んで苦行を爲すといふよりも寧ろ苦行を樂んで居つた人である、彼は自ら自分の第一に好む所、最も欲する所のものは苦行である、自分は衷心からして何うか予をして苦ましめよ、然らざれば我をして死せしめよと神に向つて祈願したことの幾回なるを知らぬと云つて居る、苦行は勿論字の如く苦しいことには相違ないが、宗教上の熱心が激して來ると苦行に從事することが却つて面白くなるのである、學術を研究する者や、事物の發見でもなす者は、夏日熱苦しい時節でも一生懸命に研究して居る、傍から見れば夏の酷暑の時だけは休んだら宜からうと思はるるけれども、本人自身には何んとも思はぬ、却つて是を以て面白いと考へて居ると同じ事である、斯樣な譯でありまして印度からして波斯、亞拉比亞を經、其の思想慣習が次第に歐羅巴に這入
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