自分が定から出ると云ふた通り夫れまで打遣つて置いて呉れと頼んだ、けれども何うしても聽かず、遂に三日目に掘り出した、處が其の體は既に冷く成つて死人同樣である、で軍司令官は是れはしまつた、何うしても死んだに相違ないと考へました處へ、ハリダースの弟子が來て色々な術を行つて、不思議にも到頭又生返つた、其の手術といふのは先づ油をハリダースの頭へ灑いで、而して頭を頻りと摩擦した、夫れから眼だの手だの足だの殊に心臟の處を摩擦する、ツマリ熱を發せしむるのであらう、然う云ふやうな工合に遣つて居ると、初め十五分間ばかりは何の異状もなく死人同樣であつたが、夫れから段々と生きて居るやうな兆候が現はれて來て、一時間の後マルで舊の如く生返つて了つた、身體も精神も平常と何等の違ひはなくなつた、印度人は斯う云ふ事をするものがあると、非常に豪い人、聖人であるとして三拜九拜し、神よりも以上のものとして居るのである、兎に角是れが最初の試驗で、夫れから又再三試驗をしたが、最後に前よりは九年ばかりの後、千八百三十七年の歳、最も嚴重な試驗を行ふた。
此時はハリダースが四十日間定に入つたのである、四十日間の入定は是れまで實驗のないことである、此時の塲所は、中央印度のラホールと云ふ都會で、當時此處に回教徒の王マハーラージヤ、ランジツド、シンと云ふ人があつた、此の王に英吉利人の侍醫があつて、王は其の侍醫と共に試驗をしたのである、王は元來回教徒であるから、初めからハリダースを信じない、彼は必ず詐欺を働くに相違ないと考へて居つた、此度實驗致しました處は王の宮殿の内でありまして、王の宮殿には四方に建物があつて中に廣い空地がある、其處へ一の小さな堂のやうな家がある、其中央に四尺ばかりの穴を掘り其の中へ彼れを埋めた、建物の四方には戸があるが、其の三方は悉く漆喰で密閉し、一方だけは入口として開けて置いたが、外から錠を※[#「缶+卩」、167−7]して錠の穴をも漆喰で固め封印を捺した、埋めた棺の上には葢をして、其の葢にも錠を※[#「缶+卩」、167−8]して、前と同じやうに漆喰をし封印を捺した、此如くして堂は四面共に密閉され、堂の中へは光線も空氣も這入らぬやうに成つて居る、夫から初回の時と同じやうに王は二人の番兵をして堂の前後を守衛せしめ、二時間交代で晝夜とも番を爲し、少しも他人の堂に近寄ることの出來ぬやうにして居つたのであります、愈四十日經つた所で、王は宮中の一切のものを連れ、又先の英人侍醫をも連れて堂の處へ來て檢分を爲した、其の時の有樣を記したものに據れば、先づ初めに堂の四方を檢したに、更に異状を認めない、そこで一方の戸口を開いて中へ這入つて見ると、内は眞暗で何となく陰氣である、而して其の内に入つて居る所のフアキル(フアキルとは苦行の人間をいふ、フアキルは亞拉比亞の貧者と云ふ意味の語であるが、後には宗教的生活を爲し苦行に從事するものは皆亦フアキルと稱することとなり、此の言葉が遂に印度に渡り、一般に用ひられたので、印度語ではヨーギ、若しくはヨーギン即ち行者と云ふことであります、其の行者)を埋めてある處の側へ行つて見ますと、棺は依然として元の通り、其處で外面の檢分が滯りなく濟んだから、愈葢を取つた、彼は白い布で包まれてある、其の時弟子が其處へ行つて其の包んだままで、彼を取出して其の上から熱い湯をブツ掛けた、夫れより袋を解いて行者の身體を取り出して試驗して見た所が、其の袋も既に四十日間も地下に埋つて居つたのであるから、處々に黴が生えて實に不快な臭がする、夫れから袋の裡では彼は坐つた儘で、全身皺だらけになつて居る、而して四肢はコワ張つて、其肉に觸れて見ても更に少しの温まりが無い、首は死人同樣に少しく横に肩の上に傾いて居る、胸にも腕にも脈搏と云ふものは一切ない、其の状態は殆ど死人同樣であつた、愈其檢分が濟んで、今度定より戻す時には、弟子が死人同樣になつて居る彼の肩の處へ再び湯を掛けて、能く體を温めた、夫からコワ張つて居る手足を擦り/\少しづつ延ばして行く、次に頭の上へ以て熱き小麥の粉のやうなものを振り掛け、冷ると熱いのと取り換へ、二三回ばかり同じことを繰り返し、今度は耳や其他の孔を埋めた油綿を取出す(耳に空氣を吹入れると鼻に詰つて居る綿が飛出ると云ふ、而して飛出るのが即ち生命の存する證據であると云ふことである)、それから齒は堅く喰ひしばつて居つて中々容易に開けない、其處で小刀の尖の樣なものを齒の間へ挿込んで、無理にコジ開け、左の手では顎を持つて、右の手の指で卷上げた舌を引出す、次には閉いで居る眼の瞼の上へバタの溶けたギーと云ふものを濺ぎ、而して之を摩する、數秒時經つと眼を開けさせるが、其の時は尚眼球も動かず光もない、今度は又例の熱い小麥の粉を額の處へ置く、すると體がピリツと痙攣的に運動を始める、夫れからして段々生活の兆候を表して鼻息をするやうになり、手足が生前の形に返へる、併しながら未だ脈搏は少しもない、夫れから又バタの溶けたギーを舌の上へ乘せて無理に飮込ませる、數分の後には眼が開いて平常のやうな光が出、是れで生返つてしまつた、是に於てハリダースは自分の傍に王の坐すことを始めて知つて、今や大王も亦己れを信ずるを得るであらうと云つたさうである、王も今は秋毫の疑ひを容るべき餘地を有しないので、其の不思議な事蹟に感じ大なる贈物をハリダースに與へて此の地を去らしめた、其の棺を初めて開いてから王に對して言葉を掛けたまでが殆ど三十分、其の後尚三十分ばかりの間は他の人と色々な話をして居たが、宛も病人のやうな有樣で何となく體が勞れて居るといふ状態であつた、併し見る中に次第に力を得、王の所を辭し去る時には、既に身體も精神も平常と少しの變化を認めなくなつたと云ふことであります、是れは何人も不思議とせざるを得ないであらう、或時の試驗には嚴重に守衛する代り、埋めた地面の上へ麥の種を播いた事もある、斯の如く幾度も/\試驗をやつたが、成績は常に同一である、此の如き死んだやうで、而も尚生活のある現象をば、學術上で假死と云ふ、假死と云ふ現象は他に幾らも例のあることである、例へば植物の種子の如きも、去年のものを今年播く、尚何年經つても一定の水分と一定の温度とを與ふれば其の芽を出さしむることが出來る、殆ど死んでしまつて居つたものが再び生返つて來るのである、動物にしても蛙や蚊の如きは寒くなると穴の中に這入つて飮みもせず食ひもせずに居つて、氣候が暖かくなるとそろ/\出て來る、植物だの動物だのに於て、斯う云ふ種類の現象は決して珍しいことではない、けれども印度の行者のやつて居ることは、果して動植物の現象と同じであるか否と云ふ事に就ては色々議論がある、成程一定の時期は身體作用が休止して居り、或時期には再び活動し始めるといふ事だけは兩者とも同じやうに見える、けれども動物のは不隨意的で、冬になると自然に眠るのであつて、行者のやるのは隨意的で何時でも欲する時勝手にやれると云ふのが第一違つて居る所である、又動植物の假死は氣候に關係し氣候の寒暖によつて出來るのであるが、行者のは氣候の變化には何等の關係なく、寒暑何時でも其定に入ることが出來る、是れが第二の違ひである、或人は言ふ、印度は熱帶地方であるから斯の如き事も出來るが、歐羅巴のやうな温帶地方や、寒帶地方では出來ないので、矢張り氣候の關係が然らしむるのであらうと、併し是れは誤つて居る、一定の修業をやると何處でも出來る、必ずしも印度でなければならぬと云ふことはない、日本でも先日淨土宗の人に聞きましたが、新潟縣の某處には定に入る坊樣があつて、一週間ばかり堂塲に籠り、其間は飮まず食はず不動の状態で居る(素より呼吸はして居るであらうが)、斯樣な人が段々修業をすればハリダースのやうな事も出來るのであらう、又西洋人でも短い間ならば現に彼れと同樣なことを爲して居るものもある、であるから動植物の假死と行者の假死とは稍其趣を異にするやうである。
印度では昔からかう云ふ行をやつて居るので、西洋人が印度へ旅行して何よりも先づ以て驚いて居るのは常に入定の事である、誰でも是には驚かない者はない、第十七世紀頃に印度へ入込んだ佛蘭西の宣教師スミノーと云ふ人の旅行記の中にも、印度行者の爲す所(前の假死のこと)は、實に驚くべき現象であると紹介して居る、夫れから後印度へ來た宣教師は非常に澤山あるが、何れも其旅行記の中多少此行者の事を書いて居ないものはない、實に是を不思議な事として居る、斯の如く此入定の奇蹟は極古い時からあるのであるが、但し中には又山師的な者もある、印度では前にも述べた通り斯る行者は非常に尊敬され供養を受くるのであるから、多くの中には山師的に世人を欺き、財貨を得んと欲する者も居るのであるから、決して之を以て眞正の行者と混同してはならぬ、千八百九十六年歐羅巴ハンガリーの都ブタペストと云ふ所に萬國博覽會が開かれました、此時二人の印度人がやつて來て、前に述べた樣な行をやつて觀覽に供すると云ふことを言ひ觸らし、彼等は二週間定に入り其の間飮まず食はぬと揚言した、而して大きな硝子函を作つて二人の印度人は其中に這入込み、何處からでも見えるやうにして實驗をやらした、彼等は果して如何にも殊勝に坐つて少しも動かず物も食はない、之を觀るものは誠に不思議なことであると感じて大評判となつた、爲にブタペスト大學や、維納大學の教授の醫學者或は心理學者が實驗をしたが、只不思議なことであるといふのみで少しも要領を得なかつた、所が是は山師的の見世物であつて、硝子函の葢が内から取外しの出來るやうに作られてあつて、彼等は夜中人の靜まつて後竊に其の葢を押開けて外へ出で、菓子だの牛乳だのを飮食し、人の知らぬ間に又其内へ忍び込み、日中には知らぬ顏をして定に入つた振をして居ると云ふ化の皮が偶然にも現はれて、到頭追拂はれて仕舞つたのである、彼等も毎晩飮食に出掛けたと云ふ譯ではなかつたらうが、折惡しく出た時人に見附られたのであります、兎に角印度では眞に不思議な事をやつて居る、而して現時の學術上では迚も十分な説明は附かぬ、只不思議な現象として殘つて居るのである。
更に一歩を進め、印度人は何の爲に斯の如き行をやるやうになつたかと云ふに、印度人は是を以て修業の第一歩、非常な大切な缺くべからざる勤であると考へたのであります、前にもいつた如く行即ち定に入ると云ふことは、印度に於ては何れの宗派にあつてもやらぬものはないので、行によつて禪定三昧に入ると我即ち自分の意識は無くなつて、其の我が神と同一體になることが出來ると云ふのである、而して我即ち神となることが出來れば天地一切の事理は明瞭透徹知らざることないのである、故に行と云ふことは神と我とを冥合せしむる手段であつて、其の行によつて神と我とが一體になれば神變不可思議力を得ることが出來るといふ強い信仰があるのである、此事は佛教の中にも屡現はれて居るのでありますが、印度では總てのものが斯く信じて疑はない、で例へば現在有りと在らゆる物、現世にある所のものは勿論、過去未來のものでも皆是を知り得て所謂一切智を成就する、何故かといへば總てのものは皆神の力によつて出來て居るものであるから、我既に神たる以上は我は即ち世界一切の物の本體であつて、世界一切のものは我の成す所である、我既に是を成すのであるから現在世界の一切のものを知ることが出來るのみならず、過去に於ては何う云ふものがあつたか、未來に於て何う云ふものが生ずるであらうかと云ふことも知らるるのである、此は一見不思議な事のやうでありますが、理論上からは説明の出來ないこともない、西洋でも例へばライブニッツと云ふ學者は夫れと同じやうなことを説いて居る、一體過去が變つて現在となり、現在が變つて未來となるのであるから、現在が明らかなれば是れから先何う變つて行くべきかと云ふことが判り、又何物から變化し來つたかといふことも知らるる筈である、從つて一切のものの前生が判る、印度では古來輪廻と云ふことを申しまして、生あるものは皆其働きの結果で天人乃至動植物界に迄輪轉して生を受けるのである、是れは佛教
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