悟りが開けて居るか居らぬかが判ると同じである、夫れから身體を湮滅し所謂雲隱と云ふことが出來、又水中でも空中でも何處へでも自由自在に行く、尚不思議なのは體内から火焔を發し光明が耀いたり、或は自分の體を輕く毛の如くし、或は非常に重きこと大地の如くしたり、或は其の欲する所を思ひの儘に達しられるとか、總て斯う云ふ不思議なことが出來ると云ふのであります、で彼の聖人行者の目的とする所は全く然う云ふことにある、要するに入定の目的は我と神と一體たらしめ、茲に神變不可思議力を得んと欲するにある、印度人は此等の神通力に就ては、皆其の儘に即ち文字的に實際出來るものと考へて居るのであるから、此の入定者をば非常な聖人とし、吾々人間とは殆ど其の類の違つたものと考へるのであります、此の思想は釋迦の出世以前からありまして、夫から佛教と共に多少支那にも傳はり又日本へも傳はつて來たことであります、尚斯う云ふ行を爲すものは印度では何う云ふ種類階級の人であるかと云ふことを一言して置かう、元來印度にはバラモン(僧)、クシヤツトリア(王)、ヴアイシア(商工)、及びスードラ(奴婢)といふ四姓の階級があつて、其の内のバラモン姓のもの
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