ためにお話を伺ったのでなく、お話を聴きたいために話して頂いたのであるが、この有益にして多趣味のお話を我々両人の記憶にはとても[#「とても」に傍点]残らずは記憶し切れないと思ったので、失念遺漏を恐れ、私が筆まめなのに任せてすべてを聞き書きしたのである。しかし、私の最初の考えは(今もそうであるが)彫刻家としての先生の七十年の生活を詳しく知ることを希望したと同時に、もう一つ、それを現代の人々にも知らせたく、また後の世に残して置きたいと思う意味もあった。私に、そういう考えがあったために、特に聞き書きすることに丹精したのでもある。それで、後の方の意味について、先生の御意見を伺って見たら、それはあなたの御勝手だ、ということであるから、私は聞き書きをさらに清書して、それを先生に御覧に入れた。先生は、また、私の丹精をよろこび非常に丹念にそれに筆を入れて下すったのである。そうして、私はまたそれを浄書し、さらに先生に御覧に入れた。先生は、また、それを丹念に読んで、「これなら、よろしかろう」といって私にその稿本を戻して下すったのがすなわちこの本文である。ただし、先生は、私たち後進に対して、過去の記憶を、記憶
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