―職員会はあるの? そこで子どもの問題や、教育上の悩みなど語ったりしないの?
彼女は、この問いには事務的な報告的な職員会はあるが、先生方の討論や研究のための会議のないことをこたえた。
わたくしは、子どものしつけについて民主的なしつけ方のことを、わかりやすく語り、まず当分の自然観察の仕事として、「ほたる」と「かいこの卵」の二つの教材を選んで、その作業や授業のすすめ方を一緒に計画し、教案の略すじをまとめてやり、その指導の結果を夏休みのあとにもってくることを約束したのだった。
教案や、わたくしのかし与えた資料をK子はとても喜んで、きっとがんばってやってみると言い、最後にしんみりと、
――先生、わたし近ごろ力がないことがはっきりしてきたの。何をやるにも基本的な勉強をしていないんだもの。二学期からやらねばならない社会科なども、さっぱりわからないの……。
そんなことを語って、K子は夕方元気をとりもどして、また訪ねてくると言いのこして去ったのだった。
3
このように、教育の問題を悩みぬき、子どもたちを愛しつづけた良心的なわかい女教師が、美しい谷川の淵に身を沈めたのである。死の直前まで悩みつづけた、荒っぽい野性のまんまの教え子たちには、鉛筆の走り書きで、「よい子になるように……」と遺書をのこし、学校と村人たちに対しては、自分のいたらなさをわびる書をのこして……。子どものけんかをめぐるしつけに苦しみ、無知で封建的な父兄たちに無言の抗議をのこして。
わたくしは、この出来事のあと、わかい女教師たちとこの問題について語ることができた。わかい女教師たちは口をそろえてK子の問題は、そっくり自分たちの苦しみであり悩みであると告白した。子どもへの愛情をもちながら、その愛情をしつけのうえでどうもちつづけ、表現していけばいいのか。民主的な角度から、あたたかくしつけようとすればするほど、荒っぽい子どもの野性との対立がはげしくなってくる悩み。子ども同士のけんかもぬすみも、みな教師の無責任として追及してくる父兄たちの古い観念とのつきあたり。それに対してわたくしたちは――しつけそのものに対する古い訓練意識、教師意識をすてさせること、教室も職員室も村の家庭も一つ意識の民主的な生活をつくりあげねばならぬこと、新しいヒューマニズムにつらぬかれた人間とその生活をつくりあげていくために、広くまっすぐ
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