くしはK子に、
――いまの話がよくわかるか。
ときいてみた。K子は真剣な顔になって、わからないこと、村にいて村の生きた姿がつかめないことのかなしさなどを訴えた。わたくしは、農村の先生が農村のことを知らないではこまるから、すこしずつ勉強することをすすめて、やさしい参考書なども二、三冊紹介したりしたのだった。
そのあとで、K子は、今日の来意をつげて、ノートをだしながら、教育の問題について、いろいろとわたくしに問いただすのだった。この日、K子が用意していた問題は、子どものしつけの問題と、自然観察の指導と社会科の知識などであった。
戸数二百たらずの山村の荒っぽい子どもたちと父兄とは、たとえどんなにすぐれた優等生型の頭脳をもっているK子でも、温良な性格と女学校をでたばかりの若さではつらい生活の相手であっただろう。三、四年の複式学級をもっていた彼女が、子どもたちのしつけの問題に悩みつづけていたことは、わたくしや妻への話でよくわかる。
毎日のように、子どもたちのけんかがある。一時間じっと学習することのできない子ども、間接授業の子どもたちのさわがしさ。学用品のない子ども。平仮名の書けないたくさんの子ども。九九の知らない子どもの多いこと。シラミの多い女児の頭。語ってきかせても、叱ってみても、反応のない野性の子どもたち……。自然観察はどうするのか。四年は理科、三年は自然観察という複式の悩み。また自然観察の系統はどうあるのか。参考書は、教案は?
このような悩みと苦しみをポツリポツリとわたくしにきくK子と対座しながら、学校という組織体のなかから、ポツリと一人びとりにきりはなされておかれているK子というわかい教師がかなしくなり、個人意識にうごかされて、民主的な教育からは遠い学校を思った。わたくしはきいた。
――教室で子どもと一緒にいるとき、職員室で先生方と一緒にいるとき、たのしいかい?
するとK子はにっこりしながら、子どもたちと一緒にいることはたのしいこともあるが、辛いことが多い。職員室はたのしくないと語った。そのような子どもたちのしつけの苦しみや、教育のことについての悩みを、先生方に相談したり、学校全体で話しあったり、研究したりすることはないかとたずねると、K子はさびしく学校のなかの先生方の孤立していて協力的でないことなどを語ったのだった。そこでわたくしはまたたずねた。
―
前へ
次へ
全5ページ中2ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
村山 俊太郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング