国分一太郎君の仕事
村山俊太郎
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国分一太郎君が、私と親しくなったのは、昭和二年、同君が師範の三年で、私が師範の専攻科時代に始まる。その頃二人は、同じ汽車のなかで短歌を語ったり、万葉を語ったりしていた。それから十年あまり、私と国分君とは兄弟以上の親しさになり、よろこびもかなしみも、ほろにがい生活の味もともにかみしめてきた。
佐々木昂さんは、国分のことについて語るならば私が一番よいといっていられるが(教育週報)実は知りすぎていて語れないもののひとりが私だろうと思っている。
今、国分の仕事を客観的に語っていただく最適任者のひとりである昂さんは、二度目の愛弟の遺骨を大阪で迎えて町葬をすまさねばならない。このかなしみは慰める言葉もない。このゆえに私は代わって国分のことについて語らなければならぬ。
二十七の若さで倒れた国分が、これまでなした仕事については、今更私がここにおしゃべりする必要もなかろう。まず昭和五年長瀞に赴任し、文集“がっこ”をつくり、
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