しい教室記録を書き綴っている。この記録は全部未発表のものである。一日一日の子ども生活の観察が、あの鋭い国分の“眼”をとおして描かれている。
 私はこの記録を整理しながら、このままで出してしまうのはまったく惜しい気がした。この記録を土台にして元気になった国分が系統的に纒めてくれたら、すばらしい生活教育の実際が記録されるであろうが、今私は戸塚君や、佐々木昂さんと相談して、国分の仕事の素材の一部分を諸兄姉の手もとに紹介させてもらうだけの仕事きりできない。
 私は国分がいかに熱情的に子どもの生活を組織しようとして働いたかの、ほんの一部分でもに諸兄姉がふれていただいたらと思う。そこにはいささかの、ごまかしも安易も妥協もない。
 採録した創作も、随筆も、童話もこうした国分君の一面を表現するものとして私たちは親しむことができる。
 原稿の整理のことで国分の枕もとを訪ねた私に、幾度か“遺著”になるような気がしてと囁いて、心を暗くさせていた国分も最近では“もう死なない自信がついた”と笑ってくれた。私はこの笑いを、全国の諸兄姉──温かく心を寄せてくださった方がたの前におくりたい。そして扶桑閣のこの仕事(救
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