一つ一つの反省語にすぎない。
 また、愛すべき創作、随筆、童話、詩なども文集や教室ノートなどの本質的な発掘である「子どもの観察」から生まれている。私たちは国分君のこれらの数多い労作をとおして、同君がいつも子どもと良心的に裸になって、生活の場においてとっ組み合いながら鋭い観察の眼をもって子どもを組織しようとしている、情熱的な態度を学ぶだけでたくさんだ。そこにはいささかのごまかし[#「ごまかし」に傍点]や安易な妥協もない。
 本書に採録した教室記録もまた、まったく驚くべき努力で書きつづけられている。ここに採録したのはほんのわずか一部分にすぎないが、いつかは国分君の手によって整理され、系統づけられることを待望する。採録した創作、童話、随筆なども、つまりは同君の子ども観察の記録として興味がふかい。

 さて、国分君は、こうした良心的な自責に追い立てられながら、幾多の生活的な困苦とたたかい、とうとうオーバーワークに倒れなければならなくなった。私たちはこの事情や、同君の肉体についてよく理解できる。これはいうまでもなく国分君個人の問題というよりは、むしろぼくたち教師自身の問題であり、教育実践上の重大
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