眺めた。
 それにしても、これがゴイゴロフなら、石亭先生の描写した人間とはだいぶ懸隔《へだたり》があるようだ。先生の言われたところでは、おい、禿頭、ちょいと甘い話があるからひと口のせてやろうか、といったような横着な口吻《こうふん》でものを言う男だったが、見るところ、このゴイゴロフは、一種の沈鬱的人物であって、どこを叩いても、そんな陽気な調子が出てきそうもない。のみならず、こういう区域《カルチェ》の人民とは思われないほどテニヲハがはっきりしていて、悪《わる》丁寧なほど慇懃懇切を極める。
 身装《みなり》も、それに準じて、スマートとはゆかないまでも、一応、さっぱりした見かけをしている。スフ入りはスフ入りだが、膝も丸くなっていないし、衣嚢《ポーシュ》もたるんでいない。なにか一期の晴着といった改まった感じで、その後このことを思い合して、この印象が決して間違いでなかったことを、むしろ薄気味悪くさえ思った。
 おそらく、ゴイゴロフに手を差しのべさせたまま、やや長い間、薄ぼんやりと相手の顔を眺めていたのに相違ない。ゴイゴロフは、もう一度、同じことを繰り返した。
「わたしはカラスキー・ゴイゴロフですが
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