ちのほうから流れ寄って来たのかい」
ゴオルキイは、とつぜん、咽喉仏が見えるほど大口を開いて、ふわァと笑い出し、
「畜生め、海象《モールス》とは、うめえことを言うじゃねえか。ふん、こいつァいいや」
そう言って、みなが食事をしているほうへ向って、
「おい、ピポ! この|悪たれ野郎《コキャン》がおまえに喋言《ジャボテ》してえそうだ。|掻喰い《ブウロタアジュ》がすんだら、こっちへやってきねえ」
と、怒鳴った。
「おい、兄《あん》ちゃん、何かひと口しめしなよ。鸚鵡《ペロケ》でもやろうか」
鸚鵡《ペロケ》、……どうせ、何か飲物の隠語だろうが、学校の悪たれどももさすがにこうは言わない。向うみずに引受けると、どんなものが飛び出してくるかわからない。やんわりと辞退した。
「まあ止めておこう」
「じゃア、石油《ペトロール》はどうだ」
「ガソリンや石油はなるたけ飲まないようにしているんだ」
「何を言ってやがる、このボケ茄子《なす》め、おいらのところの火酒《ペトロール》にガソリンなんざ入ってやしねえやい。ふざけたことを言いやがるとぶッ叩くぞ」
これはどうも、そろそろいけなくなってきた、と、薄ら寒くなっているところへ、犂《からすき》の柄のようにヒョロリと瘠せた、影のような男が、ぼんやりとそばへ寄って来た。
頬がすッこけて、色の褪めた壁紙のような沈んだ顔色をした、二七、八の青年である。ひどい顔面神経痛で、時々、ギクシャクと頬を痙攣《ひきつ》らせる。狂信者によく見る、おれだけが世界の真理を把んでいると確信しているような、ひどく落着き払った奇妙なようすをしている。
ところで、その眼たるや、ちょっと形容しかねるような物凄いようすをしている。ひと口に言えば、烏眼《くろめ》が画鋲の頭ほどの大きさしかなくて、白眼がひどく幅をきかせている。西洋ふうに言えば「凶眼《ベーゼル・プリッツ》」日本ふうに言えば、れいの四白眼。その代表的なやつなんだからタジタジとなった。これゃア、えらいやつが現れて来たと思って、すくなからず萎縮していると、犂の先生は、いやに指の長い、仏手柑《ぶしゅかん》のような、黄ばんだ瘠せた手を差しのべながら、海洞《ほらあな》へ潮が差し込んで来るような妙に響のない声で、
「わたくしがゴイゴロフですが、あなたは?」
と、言いながら、いま言った、あまりゾッとしない眼でまともとこちらの顔を
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