、もちろん、助かろうとは思っていなかった。追手がかかるくらいだから国境の哨所《ポスト》には、もう電話がいってることでしょうし、行けば、捕まるにきまってるでしょう。……捕まるとどうなるんです。私が撃ち殺されるのは言うまでもないが、エレアーナは連れ戻されて七十になる大公と結婚させられるか、さもなければ、死ぬまで修道院にでも押しこめられて、死んだような一生を送らなければならない。……唖者の真似までして、大公との結婚を避けていたことがわかったら、とても、無事には済みませんよ、これぁ。……それで、エレアーナが言うんです」
 そう言いかけて、愛しくてたまらないというようなふうに、思いの深い眼差で王女の顔を眺めて、
「それで、あの時、あなた、なんと言ったんだっけね」
 王女は、この世のものとは思われないような、たおやかな微笑を浮べて、
「撃ち殺されるまでも、国境を突破しましょうって……」
 そして、あどけなく首をかしげて、考えるようなふうをしながら、
「ええ、そうでしたわ」と、優しく、つけ加えた。
 ほんとうに、不思議な境遇《シチュアション》を経た二人だといわなければなるまい。私としても、これほどの
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