エレアーナ王女は、白い夏の装いで、大理石の広い階段の第一階に、寛濶な面もちで立っている。
 竜太郎は、指の先で、転くそこここと写真にさわりながら、こんなふうに、呟く。
「君は、王女などでなければよかったんだ。……あの夜、ホテルの土壇で、海に向って泣いていたわけが、今こそ、うすうすわかるような気がする。……何か、さまざまと苦しいことがあるのにちがいない。……僕はこうして、君の写真を眺めてためいきをついているだけで、どうしてあげることも出来ないが、どうか、あまり不幸にならないように、どんなに不幸になっても、せめて、生きてだけはいてくれたまえ」
 どんなふうに祈るのか、その術を知らないのが情けなかった。そのくせ、いつの間にか、絨氈の上に膝をついて、
「南無観世音、南無観世音……」
 と、ただそれだけのことを、いつまでも繰り返していた。

    九

 夜明けに近いころ、遠くで、さかんな機関銃の音がしていた。単音符を打つような、鋭い、そのくせ陰性な音を、竜太郎は、浅い夢のなかで聞いていた。
 もう、十時を過ぎていたが、窓の外は、払暁前のような曖昧なようすをしていた。運河の河岸に片寄せられた浚
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