、雨雲の腹を撫でながら、中空で交叉したり、離れたりしている。
 フォードの古いタキシーが横づけになった。荷担夫《ポルトゥール》は、鞄をタキシーの中へ投げ入れて、手荒に扉をしめると、
「ホテル・ガリッツィヤ」
 と、叫んだ。運転手の隣りに鉄兜をかぶった兵士が一人、銃剣のついた銃を股の間にはさんで、石像のように坐っていた。自動車は、停車場の前のひろい通りをのろのろと走り出した。道路の向うから、遠雷の轟くような音が近づいてくる。自動車は急停車すると、あわてふためいたように前灯《ファール》を消した。
 竜太郎の自動車のそばを、小山のようなタンクが、耳も痴いるような地響きをたてながら、まるで、天からでも繰り出してくるように、いくつも、いくつも、通りすぎて行った。――タンクと装甲自動車の長い列。それを、騎兵の一隊が追い抜いて行った。ホテル・ガリッツィヤは、維納《ウインナ》風の安手な金箔をいたるところにくっつけた古い建物だった。
 廿日鼠のような顔をした支配人らしいのへ、竜太郎は、低い声で、たずねた。
「この国で、いったい、何が始まってるんです」
 廿日鼠は、すばやい眼差しで、ぐるりとロビイの中を見
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