絵のように嵌め込まれたのに過ぎないのだとすれば、たぶん、神様も憐れと思われるにちがいない。
 竜太郎は人生に対して何の興味もなければ、何の期待もない。今となっては、生きている一日一日が、それ自体耐えられない重荷になって来た。もう、これ以上辛抱してやる必要はないと覚悟をきめたのである。……
 竜太郎は、いつもの自分の揺椅子《ロッキングチェヤ》へ行こうと思って、食堂の椅子から立ち上った。
 それは、海沿いの長い土壇《テラッス》の端にただ一脚だけ離れて置かれ、大きな竜舌蘭《アローエズ》の鉢植が樹牆のようにその周りを取巻いていて、ちょうど鴨池の伏せ場のようになっている。竜太郎は、いつも、たった一人でこの隠れ場に逃げ込み、揺椅子の上で身体を揺すりながら、誰からも邪魔をされることなく、沈思したり、海を眺めたりして暮らしていた。
 竜太郎が食堂を出て、広間の入口まで来ると、ふと、何とも言えぬほのかな香がその辺に漂っているのを感じた。
 広間の窓はみな閉じられているから、風が運んで来た花の香ではない。
 そんな単純な匂いではなかった。なにか、微妙に複合した、高貴なそのくせ、からみつくようなところもある
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