たぶん、魂が痛むというのは、こんな感じをいうのであろう。胸のどこかに孔があき、その創口から、すこしずつ血が流れ出しているような、そんな辛さだった。
ふと、気がついて顔をあげると、ダンピエール先生が、半身をこちらへ捻じ向け、ペンを持ったままで、気遣わしそうな面持でこちらを眺めていた。ヤロスラフ少年は先生のそばで、何かせっせと紙に書きつけていた。
竜太郎が顔をあげたのを見ると、先生は、いつものように屈托のない調子で、
「……すこし、顔色が悪い。気分でも悪いのではないかね。……それとも」
チラと皮肉な微笑をうかべ、
「バルカン半島のような政事的擾乱《フウルウィルスマン・ポリティック》が君にも起こっているのか」
と、いって、大声で笑い出した。
竜太郎はハンカチで額を拭う。ひどい冷汗だった。出来るだけ快活なようすをつくりながら、
「いや、そういうわけではありません。ええと、……大急ぎで、リストリア語とルウマニア語の比較論《コンパレ》を書き上げなくてはならないことになって、……この頃、ずっと寝不足をしているものですから、それで……」
何を言うのか、しどろもどろのていだった。
先生は
前へ
次へ
全100ページ中39ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
久生 十蘭 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング