たぶん、魂が痛むというのは、こんな感じをいうのであろう。胸のどこかに孔があき、その創口から、すこしずつ血が流れ出しているような、そんな辛さだった。
 ふと、気がついて顔をあげると、ダンピエール先生が、半身をこちらへ捻じ向け、ペンを持ったままで、気遣わしそうな面持でこちらを眺めていた。ヤロスラフ少年は先生のそばで、何かせっせと紙に書きつけていた。
 竜太郎が顔をあげたのを見ると、先生は、いつものように屈托のない調子で、
「……すこし、顔色が悪い。気分でも悪いのではないかね。……それとも」
 チラと皮肉な微笑をうかべ、
「バルカン半島のような政事的擾乱《フウルウィルスマン・ポリティック》が君にも起こっているのか」
 と、いって、大声で笑い出した。
 竜太郎はハンカチで額を拭う。ひどい冷汗だった。出来るだけ快活なようすをつくりながら、
「いや、そういうわけではありません。ええと、……大急ぎで、リストリア語とルウマニア語の比較論《コンパレ》を書き上げなくてはならないことになって、……この頃、ずっと寝不足をしているものですから、それで……」
 何を言うのか、しどろもどろのていだった。
 先生は
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