君は、いったい、どこにいる?……言ってくれ、よゥ、言ってくれ」
 切ない哀痛の涙が、泉のように眼からあふれ出す。もう、なりもふりもかまっていられなくなって、人通りのはげしい、そこの石段の上にしゃがみ込むと、腕で顔を隠して、大声で泣いた。
 マラコウイッチ伯爵夫人の邸は、ペール・ラシェーズの墓地の裏側にあった。
 大きな鉄門のついた宏壮な邸宅で、城壁のような高い塀が、その周りを取り巻いていた。
 門を入ると、そこは広々とした前庭になっていて、小径のところどころに、ベニス風の小さな泉水盤《フォンテーヌ》が置かれてあった。
 竜太郎は玄関の大扉のそばに垂れ下っている呼鈴の綱を[#「綱を」は底本では「綱をを」]引いて案内を乞うたが、いつまでたっても誰れもやって来ない。邸の内部には人の気配もなく森閑としずまりかえっている。
 本邸の右手の方を見ると、玄関番の小舎が見えるのでその方へ歩いて行って扉を叩くと、内部から八歳ばかりの女の児が出て来た。
「ちょっと、おたずねしたいことがあってお伺いしたのですが、どなたもいらっしゃらないの」
 子供は、すぐ、うなずいて、小舎の裏手のほうへ駆け込んで行った。
前へ 次へ
全100ページ中32ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
久生 十蘭 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング