りで贅沢な夕食を摂《と》っていた。この長い半生、たいていそうであったように。
 地中海の青い水の上に、松をいただいた赤い岩がうかんでいる。いま長い黄昏が終り、夕陽の最後の余映が金朱色にそれを染めあげる。
 竜太郎は、沈んだ眼ざしでそれを眺めながら、口の中で、こんなふうに呟く。
「おれは、明日、あそこで、死ぬ」
 ホテルの小艇《キャノオ》が、あの岩のあたりまで漕ぎ出してゆく。一発の銃声が反響もなく空に消え、ひとつの肉体が軽々と空間の中に落ちこむ。
 青い水をしずかにひらいて、いのちのない骸《むくろ》を受け取り、それを静寂な海の花園に横たえるために、ゆるやかに、ゆるやかに、おし沈めてゆく……
「明日、おれは……」
 なぜ、明日でなくてはいけないのか。
 それは、こんなにも自分を困惑させ、こんなところへ押しつめてしまった人生に対して、最後にこちらで存分に愚弄し、焦らしてやりたいと思うからである。
 死が待ちかねて、海から手をあげて催促する。……そんなに急ぐにはあたらない。もうしばらく、そこで待っていろ。どっちみち、長い時間ではない。明日まで、明日まで……。
 竜太郎はソルベットを啜《すす》り
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